兵庫県立神戸高等学校
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兵庫県立神戸高等学校
兵庫県立神戸高等学校
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国公私立の別公立学校
設置者兵庫県
学区第1学区
併合学校兵庫縣立第一神戸高等學校
兵庫縣立神戸欽松高等學校
校訓四綱領「質素剛健 自重自治」
設立年月日1896年3月16日
創立記念日5月1日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
総合理学科
学校コードD128210000013
高校コード28102G
所在地657-0804
兵庫県神戸市灘区城の下通一丁目5番1号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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兵庫県立神戸高等学校(ひょうごけんりつこうべこうとうがっこう、: Hyogo Prefectural Kobe High School)は、兵庫県神戸市灘区城の下通一丁目にある県立高等学校

略称は「神高」(じんこう)、「神戸」(こうべ)など。兵庫県下では姫路西高校に次いで、豊岡高校と並ぶ2番目に古い高校。戦前には、東京府立一中(現:日比谷高校)、愛知一中(現:旭丘高校)と並び、「一中御三家」と称された。
概要

1948年9月1日、兵庫県立第一神戸中学校(旧制)と兵庫県立第一神戸高等女学校(旧制)であったのが合併し、兵庫県立神戸高等学校(新制)が発足する。

1986年、理数コースを新設する。2003年、総合理学コースが発足する。2007年、総合理学科に改編する。
校則・校風

神戸一中時代より「質素剛健」「自重自治」の四綱領を校訓としている。四綱領を掲げた際に成文化された校則も廃止され、基本的に生徒の自主性を尊重するという形式を取っている。したがって、範例的要素というよりも学校の雰囲気を示した校風となっており、現在に至る。新制高校に見られる生徒手帳が存在せず、携行品は1枚物の生徒証のみ、規定については携行を前提としない冊子としている。

制服の着用が義務付けられており、着こなしについても公立校としては厳しく指導される(近隣の旧制中学校を前身とする県立進学校の大半は、学生運動以後、制服を廃止し標準服としている)。

特色

入学定員は普通科320名、総合理学科40名。総合理学科は県下全域から受験可能である。

新制高校として発足以来、一貫して男子の比率が高い(3:2程度)学校であったが、2000年代以降は男女ほぼ同数となっている。

火-金は65分×5時間、月曜日のみ6時間の授業形態を採用している。

象徴校章

校章は旧制両校の意匠を生かしたシンプルな金色の「」の文字で、段違いのある底部に特徴がある。大型の帽章はよく目立ち、制帽佩用時代には在校生の誇りであると同時に羨望の対象にもなっていた。

副校章としてデザイン化された(おおとり)の意匠が定められており、男子の襟章に採用されている。

校木は「」、校花は「春蘭」。

歴史

「カーキ色」(近似色) 
16進表記#CC7722
RGB(204, 114, 34)
HSV(30°, 83%, 80%)
表示されている色は一例です


1909年明治42年)、神戸一中初代校長・鶴崎久米一の発案により、カーキ色(軍服のカーキ色ではなく、オレンジ色に近い独特の色をそう呼称した)の学生服が採用された。この特徴ある制服は鶴崎が校長を兼務していた同校と神戸二中(現:兵庫高)のみのものであったため、一高をはじめ全国屈指の上級学校進学成績を誇った戦前には『エリートの証』として羨望の対象となり、また生徒自身の自覚と自負心を否が応でも高める効果があったという。戦後は通常の黒詰襟に変更されたが、女子は現在も県一高女時代に制定(スカートの形式は1994年に変更)されたセーラー服と八稜鏡を模った胸章を継承している。

第二代校長・池田多助は、自由と規律を機軸とする英国流のパブリックスクール教育を推進。進取の気心に富みながらも権威と伝統を重んじる保守的な校風はこの時代に形成されたと考えられる。生徒指導も教師の手によらず、生徒による自主的な自治組織である戊辰会に委ねられ、上級生が下級生に対して規範を示すという形式が採用された。1960年代学園紛争時に各地の進学校が先陣を切って改革路線を歩んだ時期にも、本校自治会は微動だにせず制服制帽を堅持した(服装の自由化には全校生徒の7割が反対したという[1])。丸刈りの強制は1969年に漸く廃止されたが、その後も1980年代までは自発的に短髪を貫き、制帽をきちんと着用する生徒が多かった。しかしながら、こうした校風を無言の圧力や権威と感じて反発を覚える生徒も少なくなく、小松左京は自著にて、鉄拳制裁に代表される一中の軍国主義スパルタ教育から解放され三高入学を果たした日を、「わが人生最高の日」と述懐している。また村上春樹にも校則に反発して不登校の時期があったと伝えられるほか、戦前にも日野原重明のように他校進学を前提に受験し、入学式当日に確信犯的に退学届を提出した者もいる。

1907年(明治40年)4月1日、兵庫県立第二神戸中学校の新設が決定したことにより、「兵庫県立神戸中学校」から「兵庫県立第一神戸中学校」に改称する。呼称が他府県と異なり、神戸第一中学校ではなく第一神戸中学校と称したのは、両校の校長を兼任した鶴崎久米一が「どちらも優劣なく同じ『神戸中学校』である」としたことによるとされる。この認識により初年度の入学試験は一中二中の合同で実施され、合格者は鯉川筋の東西で両校に振り分けられた。この学区制は1909年(明治42年)まで3年間継続された。以降「一中」とも称されるようになる。

県一高女は兵庫県初の公立高等女学校として誕生したため、初期には寄宿舎を擁し、全県から向学心に燃える優秀な良家の女学生が偏に集う場であった。高等教育を受ける女子などごく稀であった時代でもあり、こうした黎明期の卒業生は特に強い自負と行動力を発揮し、公立校でありながら同窓会が経営する私塾や高等科(現在の短期大学に相当)を早期に開設するなど、兵庫の教育界においては一中に勝るとも劣らない存在感を示す学校であった。

学校行事

新入生にとっての通過儀礼であった「江井」(
淡路島の旧一宮町)での臨海学舎は、もともと県一高女で行われていたものが共学化により、また敗戦による男子の軍事教練廃止に代わるものとして、男子にも行われるようになった。教師から教わるのではなく先輩から後輩に伝わる、集団生活の規律や水難の危険性に直面することでの精神修養面での貴重な生活訓練の機会であったが、サメ出没などを理由に1994年に鳥取県東浜に移転(ここを移転先としたのは同じ兵庫県立の鳴尾高校尼崎北高校がここで臨海学舎をしていたことに起因する)後は民宿で宿泊するホームルーム的要素に転換、さらに民宿の確保が十分できなくなったこと(民宿の廃業による)などを受け、2003年を最後に廃止された。現在はそれに代わるものとして宿泊を伴う六甲山縦走と在校生による新入生歓迎セレモニーが実施されている。

活動

2年間以上の部活動や
自治会委員会活動を行った生徒には、卒業時に「春蘭の頌」が授与される。


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