兵庫県立加古川東高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分42.1秒 東経134度50分15.8秒 / 北緯34.761694度 東経134.837722度 / 34.761694; 134.837722
兵庫県立加古川東高等学校(ひょうごけんりつ かこがわひがしこうとうがっこう)は、兵庫県加古川市加古川町粟津にある公立高等学校。2021年(令和3年度)時点、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定を受けている[3]。主な略称は「ヒガシコウ」「カコヒガ」「カコトン」。 加古川市にある公立高等学校の1校である。1924年、兵庫県立加古川中学校(旧制中学校)として開校した。 当校の教育方針は以下の通り[5] 兵庫県立加古川東高等学校は、1924年、旧制中学校である兵庫県立加古川中学校として設立された。当校設立には、加古郡および印南郡の強い要請があった。1905年(明治38年)、兵庫県の通常県会にて「加古印南ノ地ニ中学校増設ニ関スル意見書」が議決された[注釈 1]。1922年(大正11年)、県は設立にあたり、土地8000坪および建設費の30万円を各町村負担とした。加古郡および印南郡の各町村は、それらのために奔走し、同年12月18日、建設費の各町村負担分および土地の目録をそえて、県知事に提出し、ようやく設立に至った[6]。第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、兵庫県立加古川東高等学校となった。1951年から1957年まで通信教育部も設置されていた。1986年に、普通科内に理数コースを設置され、2010年に理数科となった。2006年には、文部科学省よりSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の研究指定を受けた。
概要
校訓
自治創造
明朗親和 - 旧制加古川中学校時代の「質実剛健」に代わって制定された[4]
教育方針
校訓「自治創造、明朗親和」を基調に知育・徳育・体育の調和を図る
生きる力を育み、21世紀を担うこころ豊かな人づくりを図る
自己教育力を高め、生徒一人一人の個性の伸長と自己実現を図らせる
沿革
略歴
年表
旧制加古川中学校
1924年(大正13年)
2月13日 - 兵庫県立加古川中学校設置の認可が下りる[7]。
4月1日 - 開校。第1学年生徒150名入学許可。
1928年(昭和3年)6月7日 - 学年進行により5学年そろい開校式を挙行。この日を創立記念日とする[8]。
1948年(昭和23年)2月15日 - 通信教育部設置される。
加古川東高等学校
1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革により新制高等学校に移行し、兵庫県立加古川東高等学校と改称。
7月1日 - 兵庫県立加古川西高等学校と職員・生徒を折半交流し、男女共学となる。
1951年(昭和26年)5月15日 - 兵庫県立長田高等学校定時制分校(通信教育部)を本校に設置し開校式を行う。
1957年(昭和32年)3月31日 - 分校(通信教育部)統合のため廃止される。
1986年(昭和61年)4月1日 - 普通科内に理数コースを設置。
2003年(平成15年)4月1日 - 理数コースを自然科学系(ジェネラルサイエンス)コースに改編。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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