兵営人民警察(へいえいじんみんけいさつ、ドイツ語: Kasernierte Volkspolizei, KVP)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の準軍事組織。国家人民軍の前身。人民議会によって正式に再軍備が宣言されるまで、形式上は内務省(ドイツ語版)に属するドイツ人民警察の一部門とされていた。目次
1 歴史
1.1 建国以前
1.2 建国後
1.2.1 兵営人民警察
1.2.2 国家人民軍
2 組織
3 参考文献
4 脚注
5 関連項目
歴史
建国以前 ドイツ社会主義統一党党大会における兵営人民警察の旗手(1954年)
1948年10月、在独ソ連軍政府(SMAD)は占領地で警察業務を行っていたドイツ人民警察に対し、軍事部門として機動警察(Bereitschaftspolizei)の編成を行う旨の命令を下し、その規模は250人を1個連隊とする40個連隊とされた。機動警察の隊員は第二次世界大戦中に捕えられた旧ドイツ国防軍捕虜から募集された。
1948年11月、ドイツ内務管理局(Deutschen Verwaltung des Innern, DVdI, 国家保安省および内務省の前身)は機動警察及び国境警察(Grenzpolizei, 国境警備隊の前身)を統括する権限を獲得する。これらの部隊は国境警察及び機動警察本部(Hauptabteilung Grenzpolizei und Bereitschaften, HA GP/B)が管轄し、ヴィルヘルム・ツァイサー(ドイツ語版)が総監に任命された。1949年8月25日、国境警察及び機動警察本部は訓練管理局(Verwaltung fur Schulung, VfS)[1]に改名される。 1949年10月7日、ソビエト連邦占領下の東ドイツ地域でドイツ民主共和国が成立。この際、DVdIの一部が内務省に分割され、訓練管理局もドイツ人民警察の一部門として内務省に移管された。1949年10月15日、訓練管理局は演習本部(Hauptverwaltung fur Ausbildung, HVA)[2]と改名され、1950年4月頃には機動警察の将校だったカール=ハインツ・ホフマンが司令官に就任した。 1952年6月1日、ヴィリー・シュトフ内務相は1952年4月にモスクワで採択された正規軍の構築に関する声明に基づき、演習本部を兵営人民警察(Kasernierte Volkspolizei, KVP)[3]に改組する旨の命令を下した。1952年8月、パーゼヴァルク 1953年8月、海上人民警察(Volkspolizei See)と航空人民警察
建国後
兵営人民警察
国家人民軍「国家人民軍」も参照 1956年4月30日、旧国防軍様式の制服を身につけた国家人民軍の兵士
1956年1月18日、人民議会では「国家人民軍及び国防省の創設に関する法律」(uber die Schaffung der Nationalen Volksarmee und des Ministeriums fur Nationale Verteidigung)が採択された。これによって、兵営人民警察は国家人民軍(Nationale Volksarmee)に改組される。シュトラウスベルクの本部にドイツ民主共和国国防省(ドイツ語版)(Ministerium fur Nationale Verteidigung der DDR, MfNV)が設置され、また国防省は国家人民軍により第1軍管区に区分された。北部管区と南部管区は地上軍の第5及び第3軍管区となり、航空隊と海上人民警察は航空軍及び人民海軍の母体となった。なお、空軍及び海軍は第2及び第4軍管区と区分された。
また、この際に軍服はソ連式のものから旧国防軍の様式に類似したデザインに変更されている。