共公(きょうこう、? - 紀元前618年)は、春秋時代の曹の君主(在位前653年 - 前618年)。姓は姫、名は襄。昭公の子として生まれた。昭公の後をうけて曹国の君主となった。文公の父。共公
紀元前637年、晋の公子重耳が亡命の旅の途中に曹を訪れた。共公は重耳が一枚肋であると聞いて、浴をしているところを覗いた。
傍に侍っていた重臣釐負羈
(中国語版)(きふき)は後の報復を恐れ、壷に食料を詰め、上に璧を乗せて重耳に献じて詫びを入れたが、重耳は食料だけ受け取り璧は返した。(釐負羈は赦すが、共公は赦さないという意味)後に重耳が晋の文公として即位し、春秋の五覇のひとりとなると、紀元前632年に前の無礼をとがめて曹に侵攻し、共公を捕らえた。曹の田土の一部が宋に与えられた。共公の側近の侯?が文公を説得して共公を帰国させると、共公は復位した。
紀元前618年、死去した。
参考文献
『史記』管蔡世家第五
『春秋左氏伝』僖公23年、28年、文公9年
表
話
編
歴
曹の君主
曹叔振鐸
太伯
仲君
宮伯
孝伯
夷伯前865-前835
幽伯前835-前826
戴伯前826-前796
恵伯 前796-前760
曹君石甫前760
穆公前760-前757
桓公前757-前702
荘公前702-前671
釐公前670-前662
昭公前662-前653
共公前653-前618
文公前618-前595
宣公前595-前578
成公前578-前555
武公前555-前528
平公前528-前524
悼公前524-前515
声公前515-前510
隠公前510-前506
靖公前506-前502
曹伯陽前502-前487
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