六角橋
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出典検索?: "六角橋" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年6月)
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六角橋
町丁
六角橋商店街
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日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区神奈川区

人口情報(2023年(令和5年)4月30日現在[1]
 人口13,719 人
 世帯数8,064 世帯

面積[2]
 0.941 km²
人口密度14579.17 人/km²
設置日1965年昭和40年)7月1日
郵便番号221-0802[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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ウィキポータル 神奈川県
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六角橋ふれあい通り商店街

六角橋(ろくかくばし[2][5]、ろっかくばし)は、神奈川県横浜市神奈川区の町名である。六角橋一丁目から六角橋六丁目まである。住居表示実施済み区域。1965年7月1日住居表示が実施されるまでは六角橋町(ろくかくばしちょう)[6]であったが、それ以降は「ろくかくばし」が正式な読みがなとしている[2][7]

本項では、当地にある「六角橋商店街」についても詳述する(後節参照)。
概要

ほぼ全域が住宅街である。大正期までは神大寺(かんだいじ)寄りの内陸部を中心に純農村の姿をとどめていたが、大正期の私鉄開通と関東大震災太平洋戦争空襲に因る市街地からの移住を契機に、多くの人が住むようになった。

かつての六角橋は、上町 (現在の六角橋五丁目)・北町および仲町 (現在の六角橋三?四丁目の一部)・東町 (現在の六角橋一丁目の上麻生線寄り)・西町などの町名があったが、現在では区画整理によりかつての六角橋より広い地域を取り込んで、一?六丁目に分類されている。かつての町名は、横浜市営バス停留場の名称や[8]、杉山大神 (現在の六角橋二丁目にある、六角橋のかつての中心的存在の神社) の大祭での神輿奉納単位にその名残を留めるのみである。

特に昭和初期に横浜専門学校(現神奈川大学)が三丁目 (現大学本部・経営学部・教室ほか) および四丁目 (現グラウンド・図書館・外国語学部・工学部) に移転してきて以来[9]、学校周辺から駅周辺にかけて小規模商業施設が集積し、一丁目 (白楽および六角橋東町)・三丁目 (六角橋仲町・北町・西町) 近辺が学生街として賑うようになった。敷地全体の標高を最も低い校舎に合わせているため、四丁目のグラウンドとテニスコートはその周辺の住宅より約20mも低くなっている。

四丁目?六丁目は主に住宅街である。四丁目13番には、私立白百合幼稚園があったが、学費が安い私立捜真幼稚園に入園者が流れてしまったこともあり、廃園になった。五丁目10番にある宝秀寺には、日本武尊が泊まったとされる「大伴久応の庵」の跡と「大伴久応之墳碑」がある。

古くからの住宅街且つ起伏に富んだ地形なので、大きな通りから1本入ると、坂や狭い道になる所が多い。狭い急坂を下ったら階段や行き止まりということもある。旧綱島街道 (昼間一方通行である) を含め、かなり大きな道でも一方通行の道もあるので、車を運転する人は注意する必要がある。

漫画家の望月三起也が住んでおり、かつては山本リンダ矢沢永吉岸惠子、作家の矢作俊彦、が住んでいた。ラジオ・ナビゲーターで作家のロバート・ハリスは幼少時、そして豪州からの帰国後も六角橋商店街の近くに住んでいることを公言している。近くの篠原台町には五木寛之の仕事場がある。浜田省吾は神奈川大学学生時代に下宿に住んでいた。
地名の由来宝秀寺

町内にある宝秀寺の1695年の記録によると、日本武尊が東方へ赴く際に、この地を治めていた豪族、大伴久応(おおとものきゅうおう)という者の庵に泊った。翌朝、日本武尊が五位木(ごいぎ)という六角の木の箸で食事をし、この箸を久応に贈った。久応はこの箸に「天照大神・日本武尊」と書いて日夜拝んでいた。このことから、村名を「六角箸村」とし、後に「六角橋村」と改めたという。

昔、この地に架かっていた橋が六角形の材木で組まれていたので、そこから「六角橋」と名付けられた。という説もある。

歴史

15世紀 - 戦国武将太田道灌が小机城攻めの時に六角橋を通ったとされる。

江戸時代 - 「六角橋村」と称し、武蔵国橘樹郡に属する。小机領のうち。

1695年 - 宝秀寺に日本武尊に関する書物が残される。

1868年慶応4年、明治元年)

6月17日(旧暦) - 神奈川府が設置され、同府の所属となる。

9月21日(旧暦) - 神奈川府が神奈川県と改称する。


1871年明治4年)7月14日(旧暦) - 廃藩置県。引き続き神奈川県に所属。

1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により「神奈川県橘樹郡六角橋村」が編制される。

1886年(明治19年)12月 - 神奈川県橘樹郡城郷村立岸根小学校の分教場として神橋小学校の前身が創設される。

1889年(明治22年) - 市町村制施行により横浜市が誕生。


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