この項目では、佐賀県を流れる一級水系の本流について説明しています。福島県二本松市を流れる阿武隈川水系の河川については「六角川 (福島県)」をご覧ください。
六角川
杵島郡白石町側から望む六角川と住の江橋、向こう側は小城市
水系一級水系 六角川
種別一級河川
延長47 km
平均流量1.66 m³/s
(溝の上
六角川(ろっかくがわ)は、佐賀県中部を流れる六角川水系の本流で一級河川。下流は勾配が緩やかな蛇行地帯。 武雄市西部の山地に発し、概ね東流。白石平野を流れる中流域では蛇行が甚だしい。最下流域で大きな支流の牛津川を合わせて有明海に注ぐ[1]。 中?下流域は標高10m以下の低平地で、勾配は1/1,500 - 1/45,000と極めて緩い。下流域の白石町・江北町付近は三角州と考えられる標高2m前後の平野を蛇行し、河道付近は周りの地盤面よりも0.5m程低く湛水しやすい部分になっている。河口部には標高0m前後の干拓地がある。河口は干満差が日本で最も大きい有明海最深部にある[注 1]ため、河口から29km付近、大日堰(武雄市橘町)辺りまで海水の遡上が見られる。そのため、洪水の危険性や排水できるかできないかが、大雨その都度の干満(潮汐)に左右される[2][3][4]。このような特徴から、「河川というよりは海湾の延長といった性格を持っている」とする資料もある[3]。 牛津川合流点より下流には河口干潟があり、有明海の干潟と連続している。また海水が遡上する感潮域には、遡上に伴い厚く堆積する浮泥(ガタ土)がみられる[5]。 小城市芦刈町には干潟体験場・生き物観察場があり[6]、この付近を含めた河口堰から河口までの約4kmの区間が、県によりムツゴロウ・シオマネキの採捕を禁じる保護区に指定されている[7]。 潮の満ち引きに伴う水流や水位の変化を利用した水運が近代まで行われていた。国内石炭産業の最盛期(昭和20年代後半)は、大町町の土場口から下流は杵島炭鉱から産出した石炭を河口近くの住ノ江港まで運ぶ運炭船で賑わっていた。現代は河口沖合の有明海で海苔養殖が盛ん[8]。 古くは沿岸の地名から「六角江」「高橋江」「大町の入江」「住之江」などと呼ばれた。「六角川」という名前は江戸時代に長崎街道がこの川の沿岸にあり、水運も盛況であったことより、街道筋には多くの宿場町が栄え、中心地区であった六角地区(現在の白石町六角神社 東川の合流点(武雄市橘町片白)より上流は古くより「潮見川」「永島川」とも呼ばれ、いずれも付近の地名である[11]。 中?下流は浸水の常襲地帯だが、超低勾配であり長い感潮域を持つため、下流域の多くは内水をポンプで強制排水しなければならない。特に、大雨が潮位の高い時間帯(満潮前後や台風等による上昇時)に重なると水位が上昇しやすく、内水停滞による浸水の被害を解消するまでには至っていない。 かつての六角川はしばしば破堤氾濫を起こしてきた[12]。六角川本川の両岸に限って(牛津川を除いて)も、1953年(昭和28年)6月、1967年(昭和42年)7月[注 2]、1980年(昭和55年)8月、1990年(平成2年)7月などに洪水被害が発生している[13]。1953年の洪水[注 3]は本川上流部で氾濫の後、現武雄市の潮見、大日付近の数か所で破堤して東に拡大、牛津川の洪水と合流し広い範囲を数日間浸水させた[14]。1980年と1990年[注 4]にはいずれも、武雄市橘町や北方町[注 5]で破堤・越水が起こり、武雄市東部[注 6]から北方町、大町町、江北町、白石町[注 6]、福富町[注 7]、芦刈町[注 8]、牛津町[注 9]に亘る平野部の広範囲が浸水した[13][12]。
地理
緩流蛇行
干潟・産業
名称の由来
水害・治水
本川の洪水氾濫
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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