六曜
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六曜(ろくよう、りくよう)は、暦注の一つで、先勝(せんしょう[1]、せんかち[2])・友引(ともびき[2])・先負(せんぷ、せんぶ[1]、せんまけ[2])・仏滅(ぶつめつ[2])・大安(たいあん[2])・赤口(しゃっこう[1]、しゃっく[2])の6種の曜がある。
概要

日本では、の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダー手帳にも記載されていることが多い。今の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。

六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは七曜との混同を避けるために、明治以後に作られた名称である。

仏滅や友引という、仏事と関連のあるように見える言葉が多く使われているが、仏教との関係はない。仏事と関連のあるように見える言葉が多いのは当て字によるものである。占いを盲信して本質がおろそかになればかえって悪い結果になるとして、仏教では占いを否定している。また、日本仏教の宗派の一つである浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と和讃で説いたため、迷信、俗信一般を否定して、仏教においては本質的に因果関係によって物事が決まり、六曜が直接原因として物事を左右することはないとする。
歴史

六曜の起源については孔明六輝と呼ばれ諸葛亮が発案したとの俗説がある[2]。しかし、三国時代から六曜があったかは疑わしい。

一般的には、六曜は中国大陸の「六壬」の変化したものであると考えられている[3]。「六壬時課」はの李淳風(中国語版)が考案したとされ、時刻の吉凶を占うものだった[4]。李淳風の『六壬承訣(りくじんしょうけつ)』には大安(たいあん)、留連(りゅうれん)、速喜(そっき)、赤口(しゃっこう)、将吉(しょうきち)、空亡(くうぼう)が挙げられている[2]。六壬時課が日本に伝来したのは室町時代と考えられるが、定かではない[4]

中国では六壬時課から「小六壬」という日の吉凶占いが派生し、の沈重華の『通読類情書』(1771年)で紹介されている[5]飯島忠夫は日本の六曜は小六壬から転じたものとしている[3]

貞享5年(1688年)小泉松卓(小泉光保)の『頭書長暦』に「大安則吉日取ノ事」という日の吉凶配置図が掲載されており、大安(吉日)、立連(悪日)、則吉(善日)、赤口(悪日)、小吉(幸日)、虚妄(悪日)となっている[2]。時刻を対象とするか日を対象とするかという差異はあるが、配列順は六壬時課と同一である[6]

日本における「六曜」という言葉の初見は元禄9年(1696年)の『六曜私』(妙法院)とみられる[7]。現在の六曜との関係は明確でないが、本書中には「先勝」「友引」「先負」という言葉が現れるほか、神仏名が多く見られ神仏習合の色彩が濃い。

現在と同じ六曜の初見は、神田茂の研究によれば延享4年(1747年)編と思われる『万暦両面鑑』である[8]

以上の例の日付に対する配当を表にすると以下の通りとなる。

旧暦日付六壬時課(各日子の刻)小六壬大安則吉日取ノ事六曜
7世紀1771年1688年1747年
1月1日・7月1日大安小吉大安先勝
2月1日・8月1日留連空亡立連友引
3月1日・9月1日速喜大安則吉先負
4月1日・10月1日赤口留連赤口仏滅
5月1日・11月1日将吉速喜小吉大安
6月1日・12月1日空亡赤口虚妄赤口

六曜があえて大安を元日から外したように見える点について、4月8日の降誕会を大安、12月8日の成道会を先勝、2月15日の涅槃会を仏滅にあてたものであるとして、現在の六曜は仏教の影響を受けて成立したものであるとの説がある[9]。なお小六壬が大安を元日から外したのは1月15日の元宵節を大安にあてるためと考えられる[10]

江戸時代末期の『安政雑書万暦大成』で現在と同様の六曜の吉凶解釈が出揃うが、江戸時代には六曜は数ある暦注の一つにすぎなかった。
近代以降

明治維新による西洋化の一環として、政府は「明治5年11月9日太政官布告第337号(改暦ノ布告)」(1872年)において「今般改暦之儀別紙詔書写の通り仰せ出され候條、此の旨相達し候事」とそれまで採用していた天保暦太陰太陽暦の一つ)を太陽暦に改めるにあたって、明治天皇の名によって次のような「改暦詔書写」を掲げている。.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}朕?惟フニ我國通?行ノ?タル太陰ノ朔望?ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス 故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス 置閏ノ前後時ニ季候早?アリ終?ニ推?ノ差ヲ生スルニ至ル 殊ニ中下段ニ?ル所?ノ如キハ率?ネ妄誕?無稽ニ屬シ人知ノ開達?ヲ妨ルモノ少シトセス蓋シ太陽?ハ太陽ノ躔度ニ從テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早?ノ變ナク四??ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過?キス 之ヲ太陰?ニ比スレハ最モ精?密ニシテ其便?不便?モ固リ論ヲ俟タサルナリ 依テ自今舊?ヲ廢シ太陽?ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵?行セシメン 百官有司其レ斯旨ヲ體セヨ
明治五年壬申十一月九日 ? 改暦ノ布告[11]

同年11月24日、太政官布告を続いて発し「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年(1873年)限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」とある。

この他、福澤諭吉なども且又これまでの暦にはつまらぬ吉凶を記し黒日の白日のとて訳もわからぬ日柄を定たれば、世間に暦の広く弘るほど、迷の種を多く増し、或は婚礼の日限を延し、或転の時を縮め、或は旅の日に後れて河止に逢ふもあり。或は暑中に葬礼の日を延して死人の腐敗するもあり。一年と定めたる奉公人の給金は十二箇月の間にも十両、十三箇月の間にも十両なれば、一箇月はたゞ奉公するか、たゞ給金を払ふか、何れにも一方の損なり。其外の不都合計るに遑あらず。是皆大陰暦の正しからざる処なり。〈略〉故に日本国中の人民此改暦を怪む人は必ず無学文盲の馬鹿者なり。これを怪しまざる者は必ず平生学問の心掛ある知者なり。されば此度の一条は日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり。 ? 福澤諭吉、『改暦辧』p.5, l.14 - p.7, l.7[12]

と述べている。

太陽暦へ改暦されるにあたり、「吉凶付きの暦注は迷信である」として、政府は吉凶に関する暦注を一切禁止[13]尋常小学校の教科書にも迷信を信じるなと記載された[14]。しかし、暦注の廃止は人々の反発を招き、1882年(明治15年)頃から俗に「オバケ暦」と呼ばれる暦注が満載の民間暦が出回るようになった[13]。政府が発行する官暦となった神宮暦も、新暦(太陽暦)と天文・地理現象の他は国家神道の行事等のみを載せ、吉凶の暦注は一切排されるはずであったが、六曜と旧暦を略本暦に附すという形で存続した。


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