六島
岡山県最古の六島灯台
所在地日本 (岡山県)
所在海域水島灘・備後灘(瀬戸内海)
所属諸島笠岡諸島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度18分13.2秒 東経133度31分55.6秒 / 北緯34.303667度 東経133.532111度 / 34.303667; 133.532111
六島(むしま)は、日本の瀬戸内海にある笠岡諸島の有人島のひとつ。岡山県の最南端になっている[2][3]。
横溝正史の『獄門島』(金田一耕助シリーズ)の舞台として知られている[4]。
同島を範囲とする笠岡市の大字については六島 (大字)を参照。 瀬戸内海の中央部に位置する笠岡諸島の島の一つで、本州本土の笠岡港からは直線距離で南へ約22km、航路で約33kmの沖合にある。笠岡諸島の最寄りの真鍋島からは南西に約7.5km。四国の荘内半島先端からは約4.5kmの位置にあたる。六島は岡山県の最南端であり、笠岡諸島にとっても最南端に位置している[2][3][5][6][7]。 六島と荘内半島の間の海域は潮の流れが速い難所として知られ、岡山県内では最初に灯台が設置された[2][8][3]。 離島振興法での指定(平成27年7月現在)をはじめ、多くの資料では六島の面積を1.02km2としている[9][1]。 国土地理院では毎年「全国都道府県市区町村別面積調」を公表しており、その付録として面積1km2以上の島の一覧と面積を発表しているが、少なくとも2013年以降、六島はここに含まれていない[10][11][12][13]。 島の周囲長についても資料により多少の誤差があり、4.3km[1]、4.58km[3][6]、4.6km[14]などの数値があげられている。 1875(明治8)年の記録では島民550人を数えたが、1977(昭和52)年には半数以下の209人(105戸)、2000年にはさらに半分の117人、2015(平成27)年には77人となっている[14][2]。高齢化率は57%(2010年)で、これは笠岡諸島の中では最も低い[5]。 令和5年3月には人口は46人と、大幅に減っている。 島全体は花崗岩でできていて、風化が進んでいる[5]。島の中央には大石山と呼ばれる標高185メートルの山があり、三等三角点「武島」(標高184.95m)が設置されている[15]。島のほぼ全周は大石山の斜面が岩崖としてそのまま海に没しているため、平地は乏しい[6][8]。大石山は「笠岡十名山」の一つになっており、山頂付近には展望台が設けられている[14][1]。 大石山の南西側の緩斜面に「前浦」地区がひらけている。前浦地区には小学校、仏教寺院、診療所や島内で唯一の商店がある。前浦地区の海岸には地方港湾の指定を受けている前浦港がある。2000(平成12)年には浮桟橋が新設され、診療船やデイサービス船の寄港が可能になった[1][14][6]。 島の東端には標高30メートルほどの丘があり、その北の突端を「角鼻」、南の突端を「大鳥鼻」と呼んでいる。この丘の東側の海岸崖下には「笠松」と呼ばれる小さな砂浜がある。大鳥鼻の西部には「打越」という小さな入り江に面した砂浜があり、大鳥神社への鳥居と参道が通じている。大石山と、この丘の鞍部から北の湾に面して「湛江」(たたえ)地区があり、北岸に第1種漁港の指定を受けている湛江港がある[1][6]。 島の南西部には岡山県最古の六島灯台がある。前浦地区から六島灯台へ向かう山道の途中には10万本からなるスイセンの自生地があり、「スイセンロード」という遊歩道として整備されている[1]。1月中旬から下旬にかけて満開となるスイセンは六島の早春の風物詩となっており、その時期には笠岡港からの定期航路に臨時便が出たり、観光ツアーが組まれている[8][16]。 かつて六島では飲料水は共同の井戸水に依存しており、水の乏しい島だった[3]。
概要
島の大きさについて
人口
地勢六島の全容前浦港打越の浜と大鳥鼻
公共インフラ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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