六地蔵駅
ろくじぞう
Rokujiz? / Rokujizo
所在地京都府京都市伏見区・宇治市
所属事業者京阪電気鉄道(京阪・駅詳細)
西日本旅客鉄道(JR西日本・駅詳細)
京都市交通局(京都市営地下鉄・駅詳細)
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六地蔵駅(ろくじぞうえき)は、京都府にある京阪電気鉄道・西日本旅客鉄道(JR西日本)・京都市交通局(京都市営地下鉄)の駅である。
京阪電気鉄道の宇治線、JR西日本の奈良線、京都市営地下鉄の東西線が乗り入れており、京阪の駅は京都市伏見区桃山町中島町に、JR西日本・京都市営地下鉄の駅は宇治市六地蔵奈良町に所在している。駅番号は京阪がKH73、JR西日本がJR-D06[1]、京都市営地下鉄がT01[2]。 山科川を挟んで西側の京阪の駅は京都市伏見区に、東側にあるJRおよび地下鉄の駅は宇治市に所在している(元々この地は一つの六地蔵村であったものが1889年(明治22年)の町村制施行に伴い分割されているが、以降も一帯の地名(または通称)として用いられる[注 1])。 長らく京阪のみ駅が存在したが、1992年(平成4年)に奈良線の増発のために列車交換設備を設けた新駅としてJRの駅が、2004年に地下鉄の駅がそれぞれ宇治市側に開業し、これ以降は京阪の宇治線、JR西日本の奈良線、地下鉄の東西線の3路線に同じ名称の駅が存在する。なお、地下鉄の駅は同地下鉄で唯一、京都市外に位置している[3]。JRと地下鉄の駅は地上と地下のほぼ同位置だが[3][4]、京阪の駅とは南西へ徒歩5分(距離にして約400 m)ほど離れており[4][5]、両駅の連絡は山科川沿いの一般道路を経由する。 乗車カードは、JR西日本の駅は「ICOCA」、京阪と地下鉄の駅は「PiTaPa」と「スルッとKANSAI」の利用エリアに含まれている(相互利用可能のICカードはそれぞれの項目を参照)。また、地下鉄駅では「トラフィカ京カード」にも対応している。 京阪宇治線開業時から1960年代中期までの約50年間は、1917年(大正6年)の「大正大洪水」・1934年(昭和9年)の室戸台風・1935年(昭和10年)の2度の京都水害、1953年(昭和28年)の台風13号、1961年(昭和36年)の第2室戸台風、1965年(昭和40年)の台風24号で駅周辺が浸水するなど水害が頻発していたが[6]、1953年(昭和28年)の台風13号の被災を受けての河川改修計画『淀川水系改修基本計画』で天ヶ瀬ダムの築造や小栗栖ポンプ場・山科川に堤防が築かれ六地蔵駅も堤防上に移設された結果、水害の恐れはほぼなくなった。また山科川の堤防完成に前後して、外環状線の開通、醍醐石田団地、小栗栖団地が造成されるなど駅周辺の宅地化が本格化し、京阪では列車増発のため、六地蔵駅の南東側に変電所が設置された。 1926年(大正15年)7月14日には大阪から大津への短絡ルートとして六地蔵線(堀内村六地蔵 - 醍醐 - 滋賀県石山村 12.5 km)が京阪の手で出願され、翌1927年(昭和2年)10月28日特許されるが、1937年(昭和12年)2月26日付けで「六地蔵線起業の廃止」が許可されている[7]。当時の計画では六地蔵駅を西側へ移設、奈良街道沿いに北上し、現在名神高速道路となっている旧東海道線跡を使い大津へ達する計画だった。線路敷設予定地の一部が「新奈良街道(伏見区石田合場橋-伏見・山科両区の区境付近)」として利用され、新京阪山科線と接続予定であった山科駅の予定地が京阪バス山科営業所(山科区大宅)となっている[8]。 JR奈良線の沿線住民の増加に伴い、現在のJR藤森駅と共に1980年(昭和55年)頃から新駅設置が検討されていた[9]。1992年(平成4年)10月に当駅が奈良線に開業し、2004年(平成16年)11月に京都市営地下鉄東西線が醍醐駅から当駅まで延伸され、宇治市の北部ターミナル駅となった。JR六地蔵駅は、JR奈良線の第2期複線化工事の中で駅改良工事が行われ、2023年(令和5年)3月、駅舎が京都方に80 m移転した[10][11][12]。
概要
歴史
京阪電気鉄道
1913年(大正2年)6月1日:宇治線の中書島駅 - 宇治駅開業と同時に[13]、駅開業[5][14]。
1917年(大正6年)9月26日 - 10月1日:「大正大洪水」により周辺が浸水する[15]。
1934年(昭和9年)9月21日:室戸台風で被災停電。同月27日までに復旧[16]。
1935年(昭和10年)
6月29日:京都水害 (鴨川水害) で山科川が氾濫して浸水、7月1日復旧[16]。
8月11日:2度目の京都水害で宇治川から山科川へ逆流で浸水、同月13日復旧[16]。
1943年(昭和18年)10月1日:阪神急行電鉄との合併に伴い、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)が設立[13]。同社の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日: 京阪神急行電鉄からの分離に伴い、京阪電気鉄道が設立[13]。同社の駅となる。
1951年(昭和26年)7月:梅雨前線の影響で11日から16日にかけての豪雨で山科川が氾濫し、駅と周辺が浸水する[17][注 2]。
1953年(昭和28年)9月25日:台風13号で宇治川から逆流した水で山科川が氾濫し、駅と周辺が浸水する。10月1日に仮復旧し運行を再開する[18]。
1959年(昭和34年)8月13日:前線性の豪雨で山科川が破堤、駅と周辺が浸水する[19][20]。
1961年(昭和36年)9月16日:第2室戸台風により駅と周辺が浸水する。
1965年(昭和40年)9月17日:台風24号により山科川が氾濫、駅と周辺に避難勧告が発令され周辺家屋400軒以上浸水する[20][21]。
1966年(昭和41年)3月:山科川堤防嵩上げ工事および橋梁架け替えに伴い、6日に中書島行きホームを、20日に宇治行きホームを堤防上にそれぞれ移設する[22]。旧駅跡はバスターミナルの用地となり、後に整備された。
2015年(平成27年)7月1日:京都市が京阪駅前を「放置自転車の撤去強化区域」に指定[23]。
西日本旅客鉄道
1991年(平成3年)8月1日:駅建設工事に着手[24]。
1992年(平成4年)10月22日:奈良線の木幡駅 - 桃山駅間に新設開業する[4][25][26][27]。
1998年(平成10年)10月8日:自動改札機を設置し、供用開始[28]。
1999年(平成11年)5月10日:同日に実施されたダイヤ改正により、終日快速停車駅となる[29]。
2003年(平成15年)11月1日:「ICOCA」の利用が可能となる[30]。
2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始[31]。
2019年(平成31年)
3月8日:みどりの窓口の営業を終了[32]。
3月9日:みどりの券売機プラスの供用を開始[32]。
2022年(令和4年)5月22日:黄檗駅 - 当駅間が複線化[33]。
2023年(令和5年)
3月18日:ホーム延伸および駅舎を京都方に移転[12][34]。