この項目では、古代中国の王朝、西周に置かれた6人の上級官職の総称について説明しています。古代中国の春秋期、晋に置かれた三軍の正副将については「晋 (春秋)#政治・軍制」をご覧ください。
六卿(りくけい、りっけい)は、中国古代の礼書『周礼』(しゅらい)に記された、西周王朝の行政組織における6名の最高官をいう。六官(りくかん)とも。同書には天官大宰、地官大司徒、春官大宗伯(たいそうはく)、夏官大司馬、秋官大司寇(だいしこう)、冬官大司空の6人の長官に統帥される役人たちの職務が規定されている。これら6つの官は、理念的にはそれぞれ60の官職から成り、合計360という職務は1年の日数に対応するのだとされる。
大宰(「太宰」とも)は六官の長を兼ね、その際の官名を「冢宰」(ちょうさい)という。冢宰はのちに吏部尚書の呼称ともなった。大宰が総覧する天官は国政を統括し、大司徒(大司土)が総覧する地官は教育、人事、土地などを、大宗伯が総覧する春官は礼法、祭祀を、大司馬が総覧する夏官は軍政、兵馬を、大司寇を長とする秋官は刑罰を、大司空(大司工)を長とする冬官は土木工作を司った。六官の思想は後世においても六部(りくぶ)として継承されていった。
なお、6世紀に宇文泰が西魏の実権を握ると『周礼』に基づいた官名を用いた官制改革を行い、自ら大冢宰(大宰兼冢宰)に就任するなど、六卿を任命した。宇文泰は北周を建国(本人は皇帝即位前に病死)すると、その制度が継承されたが、北周が隋に代わられた際に廃された。
六官六卿担当国務尚書省[1]六部
天官大宰[2]国政を統括[3]吏部
地官大司徒教育、人事、土地[4]戸部
春官大宗伯