この項目では、刑事分野で一般に時効と呼ばれる刑事訴訟法上の時効について説明しています。
刑事裁判で刑の言渡しを受けた者の刑の時効については「刑の時効」をご覧ください。
民事も含めた時効制度については「時効」をご覧ください。
公訴時効(こうそじこう)とは、刑事手続上の概念で、犯罪が終わった時から一定期間を過ぎると公訴が提起できなくなる制度である。 公訴時効制度はローマ法に起源をもつ制度で、犯罪後、法律の定める一定期間が経過すると被疑者を起訴することができなくなる制度である[1]。 フランスやドイツなどの大陸法の国々で整備されてきた制度で、もともと公訴時効のなかった英米法の国々にもその例が見られるようになった[1]。 公訴時効制度の存在理由については、伝統的には時間経過による社会的な処罰感情の希薄化(実体法的理由)、時間経過による証拠の散逸(訴訟法的理由)が理由とされてきた[1]。公訴時効制度には様々な機能が論じられているが、処罰すべき犯人が罪を免れる場合が生じうるという副作用も有している[1]。 フランスではローマ法にならって、古法にはすでに公訴時効が存在した[2]。 フランス革命後、1791年フランス刑法典に公訴時効制度は導入された[2]。 フランスでは集団殺害など人道に対する犯罪(刑法213-215条)については公訴時効がない[3]。その他の重罪(無期自由刑、長期10年以上、短期1年以上の自由]を定める罪)は10年、軽罪(長期10年以下の自由刑または罰金を定める罪)は3年、罰金以下の刑を定める罪は1年の公訴時効となっている[3]。 ドイツでは民族謀殺(ジェノサイド)、殺人嗜好など特定類型の殺人については公訴時効にかからない[4][5]。 無期自由刑に当たる罪は30年、長期10年を超える自由刑に当たる罪は20年、長期5年を超える自由刑に当たる罪は10年の公訴時効となっている[3]。また、長期1年を超える自由刑に当たる罪は5年、その他の罪は3年の公訴時効となっている[3]。 ナチスによるホロコーストなどについては、フランスなどで公訴時効を無期限停止した(たとえば「人道に対する罪に対する時効不適用を確認する法」など) ⇒[1]。 2001年にはイタリアが、第二次世界大戦中に同国北部で大量虐殺事件に関わったとされる元ナチス親衛隊将校フリードリヒ・エンゲルの犯人引渡しを求めた。ドイツは引渡しを拒否する一方で翌2002年に同国のハンブルクで裁判を開始した[6]。犯罪終了(終戦)から57年を経て公訴提起された例である。 ナチス時代の行為でドイツにおいて公訴時効が停止されているのは「謀殺罪(計画的殺人)」であるが、これはあくまでも謀殺罪一般の公訴時効が停止されているのであり、法律上はナチスと関係はない。また、謀殺罪以外のナチス時代の犯罪は全て時効が完成している(そもそもドイツの刑法上「ナチス犯罪」に関する法的定義は存在しない。このため「ナチス犯罪の時効を停止する」事は法律上不可能である)。しかし、ドイツにおける謀殺の時効は1871年以来、帝国刑法典が20年と定めていた。だが第二次大戦後、ナチスの虐殺が政権崩壊から20年を経た65年に時効になることが問題になり、連邦議会は起算点を西ドイツ成立の49年に変更した。その後、諸外国の圧力から時効を30年に延長し、その期限となる79年に謀殺の時効を廃止した。この背景によりしばしば「ナチス犯罪に時効は存在しない」という論調がなされることがある。
概説
大陸法系諸国
フランス
ドイツ
ナチス犯罪の公訴時効
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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