公用文作成の要領
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公用文作成の要領(こうようぶんさくせいのようりょう、昭和27年4月4日内閣閣甲第16号)とは、公用文の表記の改善を目的として1952年(昭和27年)4月4日内閣が内閣閣甲第16号として各省庁の次官宛に発出した通達(指示文書)である。現在は廃止されている。

2022年(令和4年)1月7日、文化庁、文化審議会は、「公用文作成の要領」(昭和26年 国語審議会建議)にかえて政府における公用文作成の手引として周知・活用されることを目指して「公用文作成の考え方[1]」を文部科学大臣に建議した[2]。同建議を受けて2022年(令和4年)1月11日に「「公用文作成の考え方」の周知について」が内閣官房長官から各国務大臣に宛てて通知された[3]。同通知により昭和27年4月4日内閣閣甲第16号は廃止された[4]
概要

公用文作成の要領は、1952年(昭和27年)4月4日付け内閣閣甲第16号各省庁次官宛内閣官房長官依命通知として作成され、全官庁に対して発出された通達である(以降では本通達と呼ぶ)。初めは、1951年(昭和26年)10月30日付け文調国第369号「公用文改善の趣旨徹底について」の別冊2として作成された[注釈 1]。昭和20年代に行われたさまざまな国語改革政策の一環として、また政治行政民主化の一環として、さまざまな公文書を「官庁自身や一部の専門家のためのもの」から「広く国民全般のためのもの」に改めることを目的としていた。

ほかの通常の通達と同様に、通常の法令告示とは異なって官報に掲載されることもなかったが、文化庁編集の『公用文の書き表し方の基準 資料集』[5] をはじめとする数多くの市販の書籍に収録され、一般に公開されている。文化庁の次のホームページに全文が記載されている。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/koyobun/pdf/yoryo_ver02.pdf 公用文改善の趣旨徹底について(内閣閣甲第16号 昭和27年(1952年)4月4日、内閣官房長官から各省庁次官宛て)の別紙。 ただし、1981年、1986年、2010年に必要な読替えや省略がなされている。

本通達成立までの公用文改革の歴史
近代以前の公用文

日本では中国から律令制をとりいれて以来、律令を代表とする法令や六国史を代表とする国史などの国が作る正式な文書で使用する文字は真名(漢字)であるとされてきた[6][7][8]平安時代に成立したかな文字はあくまで女子供の使う文字であり、漢字とともにかな文字が使用される漢字かな交じり文はあくまで私的な場面や非公式の場面でのみ使うべきものであって正式な場面で使うべきものではないとされてきた[9]。但しこれらの日本の公式文書で使われていた漢文には中国で使われていた正式な漢文と比べると若干異なる日本独自の習慣も存在する(これらは和臭、和習、倭臭、倭習などと呼ばれ、すでに日本書紀等にも見ることができる[10])ことから、変体漢文、記録体、疑似漢文・国風漢文・漢文体等と呼ばれることもあった[11]中世鎌倉時代から戦国時代)に入ると、律令体制が崩れていったことなどに伴い漢文の修養を十分に受けることができなかった者が法令を書くことがあったり、一般庶民に周知されることを重視した御触書などの一部の法令には漢字仮名交じり文が使用されるなど若干崩れてきた面はあった[12]。近世(江戸時代)に入ると儒学朱子学)を代表とする漢文を重要視する学問の隆盛に伴って、再び法令をはじめとする正式な公用の文章はあくまで漢文であるとされてきた[13]
明治時代の公用文改革

明治新政府により法制度の中身が中国に由来する律令制から西洋に由来する近代法制に大きく変わったのに伴い、法令の表記も漢文から漢字かな交じり文に大きく変わっていった[14]。この改革は、明治政府の中枢に漢文の十分な教育を受ける機会の無かった薩摩長州の下級武士層が数多く入ってきたことと関連しているとされることもあるが、前島密による漢字御廃止之議など、幕末から明治にかけて唱えられた国語改革も公用文の改革を主要な対象として考えていたと見られ、明治政府の行った法令文の表記改革もそれらの影響をうけているとする見解もある[15]。ところが、江戸時代から明治時代にかけては社会の変化、さらには言文一致運動などの影響もあって、一般社会で通常使用される日本語がどんどん変わっていくことになった。そのために、漢文からは大きく変わった漢文訓読体と呼ばれる当時の公用文の文体も、知識階級の人々によって書き言葉としては一般社会でもそれなりに使われてはいたものの、当時の一般の人々が日常使う話し言葉や書き言葉と比べると、漢文臭の非常に強い読みにくいものであった。そのため、法令や公用文の文体をさらに分かりやすいものに改めて行かなければならないとする動きは何度か起こっていた。明治民法典の起草者の1人であり「日本民法の父」と称された穂積陳重は、その著書『法典論』の中で、法典の文体について、おそらくは当時としては主流であったと考えられる「教養の無い一般大衆が容易に理解できるようなやさしい文体の法令は、法令としての威厳を損なうものである。」といった考え方を批判する形で近代的な法治主義と関連付けて「法典の文体は専門家だけが理解できるものであってはならず、一般大衆が理解できるものでなければならない」という主張を展開している[16]

戦前にさまざまに検討された漢字制限論も歴史や伝統を重んじる保守的傾向の人々からの抵抗が強かったが、公用文を対象にする場合にはさらに、天皇皇室に関連する言葉の言い換えが重要な問題になった。これらの言葉を別の漢字や仮名に言い換えることについての抵抗が強く、中でも「不磨の大典」とされた大日本帝国憲法で使われている言葉・漢字や「教育勅語」や「軍人勅諭」といった「天皇のお言葉」の中で使われている言葉や漢字について正式に改正することなく臣民である自分たちが勝手に別の言葉や漢字に言い換えることなど制度的に出来ないとする主張を覆すことは困難であった[17]。そのため紆余曲折の上成立した当時の漢字制限のための漢字表には皇室関係の用語に使用される漢字などが一般生活での使用頻度とは関係なく入ることになり、それらの漢字表をもとに戦後になって限られた時間の中で改めて作成された当用漢字表にも天皇の自称である「」といった字が入っているなど、その影響が残っており、さらには当用漢字表を改正する形で制定された常用漢字表にもその影響が一部に残っている[18]
大正15年の内閣訓令

法令や公用文を分かりやすいものにすべきであるという1925年(大正14年)12月に行政審議会から出された「法令形式ノ改善ニ関スル件」を受けて1926年(大正15年)6月1日には、法令文について内閣訓令「法令形式ノ改善ニ関スル件」(閣訓号外・官報登載[19])が発出された。この訓令は、

「現今ノ諸法令ハ往々ニシテ難解ノ嫌アリ。其ノ原因ガ内容ノ複雑ナルニ存スル場合ナキニアラザレドモ、記述ノ方法ヨリ來レルモノ亦少カラズ。」

今の諸法令は必要以上に難しすぎる。その原因が法令の内容が複雑であることが原因である場合もあるが、記述の方法が原因である場合も少なくない。との認識の下で、

「自今法令ノ形式ヲ改善シテ文意ノ理解ヲ容易ナラシムルコトニ力ムルハ時勢ノ要求ニ応ズル所以ノ道ナリト信ズ。」

これからは法令の形式を改善して理解を容易なものにすることは時代の要求にこたえるものであろうとして法令の形式の改善を図ろうとするものであった。その第1号において、

「法令ノ用字、用語及ビ文体ハナルベク之ヲ平易ニシ、一読ノ下容易ニ其ノ内容ヲ解セシメンコトヲ期スベシ。」

との方針の下で、当時の公用文の用字の基本的形態である文語体や漢字片仮名交じり文を変えようとするものではなかったものの、次のことを定めていた[20]

特殊な場合以外使われていない濁音の仮名を積極的に用いること。

句読点、括弧及びこれに類する符号を用いること。

なお、本訓令の第2号以下では「多数に法令において文章の簡約を旨としているために、法文を理解するためには長文の注釈を加え、複雑な推論を必要とするものが多くあり、中には解釈上の疑義が生じたり見解の差異を生じたりするものもある。」との認識の下で、次のことを定めていた。

法の動機、理由、目的等を明記すること。

例示や図解を書き加えたり、標準となる書式を示したりすること。

大法典では目次を付けたり章節を分けたりすること。

ただし、これ以後、この訓令に従おうとする動きは若干は見られたものの、大きな動きにつながることはなかった[21]
軍部と公用文(国語)表記改革

軍部は当初はこの公用文の表記改革の問題については保守的立場をとる勢力の代表格であり、「威厳を保つ」ことを重要視して、さまざまな公式発表や兵器の名称など内部で使用される用語についてもことさらに難しい漢字・難しい用語を使用していた。しかしながら当時存在した徴兵制度に基づいて次から次へと入ってくる十分な教育を受けていない新兵を速やかに教育する必要があった上、昭和10年代に入ってから日中戦争の拡大に伴って国家総動員状態になり、新たに入ってくる兵士の教育状態が低下する一方となった。


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