公海
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江戸時代前期の天台宗の僧については「公海 (僧)」をご覧ください。
濃い青で示した部分が国連海洋法条約における公海規定適用部分

公海(こうかい)は、いずれの国の領海または内水にも含まれない海洋のすべての部分(公海に関する条約第一条)である。

国連海洋法条約における公海規定では、さらに排他的経済水域群島水域を除いた海洋のすべての部分に適用される。
沿革


グロティウスの肖像画セルデンの肖像画

慣習法による公海

1493年、スペインポルトガルトルデシリャス条約を締結し、大西洋インド洋に対する両国の領有権を主張した[1]イギリスオランダはこれに反発し、1588年に英蘭連合軍がスペインの無敵艦隊を撃破したことでスペインとポルトガルの領有の主張を空洞化させた[1]。17世紀初めになるとイギリスとオランダは東インド会社を設立し海外交易を広めていった[1]。このような時代においてグロティウスは『自由海論』(1609年)のなかで、母国オランダの立場を擁護する観点から海洋の自由を説き、海は何人も所有の対象とはしえないことを主張した[1][2]。こうした主張は後の時代の海洋自由の法原則形成に大きな影響を与えたが[1]、この時代には、例えば海の物理的支配が可能であることを主張したセルデンの『閉鎖海論』(1635年)など[3]、グロティウスの主張に対して多くの学者が反論し、後に海洋論争といわれる学術的対立を繰り広げた[4]。18世紀になると国家の中央集権化が明確になり経済的・国防的な理由から近海の支配管理の必要が生じた[4]。18世紀から19世紀初頭には、沿岸国の秩序維持に必要な「狭い領海」と、その外側にある先進国自由競争が認められる「広い公海」、という二元構造によって海域をとらえる見方が主流となっていった[4][5]。こうした考え方は当時の国際社会において合理的なものとされ、19世紀には国際慣習法として確立した[6][5]。現代においては条約によって海洋法秩序の多くの部分が規律されるようになったが、この時代からその後は長期間にわたり慣習法によって規律される時代が続いた[7]。これは、当時の海洋技術が未熟であったこともあり戦争などの手段に訴えるほどの緊迫した状況もなく、基本的に諸国の利害関係が一致しており国際社会全体が条約作成に消極的であったためである[7]
公海制度の条約化国連海洋法条約による基本的な海域の区分。かつては幅未確定の「狭い領海」とその外側にある「広い公海」だけの二元構造だった。

「狭い領海」と「広い公海」の境界線をどのようにして決めるのかという点は長い間統一されることはなかった[8]。19世紀にはいっても3海里、4海里、6海里、12海里、あるいはキャノン砲の着弾距離など、領海の幅に関する各国の主張は食い違った[8]。20世紀に入り国際連盟の主催によって開かれた国際法法典化会議でも領海の限界が議題として取り上げられたが、交渉は難航し条約採択には失敗した[8][9][10]第二次世界大戦の後、1945年にアメリカ合衆国トルーマン宣言で、それまで公海と考えられていた同国周辺海域を「保存水域」と宣言し、ここで漁業資源の保存にアメリカがあたることを宣言すると[11]、これに同調した各国は次々に自国周辺海域への権限を拡大する宣言をおこなった[11][12]。こうした状況で国連は第1次国連海洋法会議(1958年2月-4月27日)を開催し、領海条約大陸棚条約公海条約公海生物資源保存条約という4つの条約の採択に成功した[13]。このときも領海と公海の境界線をどこに置くのかという点については合意に至ることはできなかったが[12]、特に公海条約ではそれまで国際慣習法で規律されていた事項の条約化に成功した[14]。1982年に第3次国連海洋法会議で採択された国連海洋法条約では、領海は領海基線から12海里までとすることで合意にいたることに成功した(第3条)ほか[15]、領海に接続する海域として領海基線から200海里までの海域を沿岸国の排他的経済水域としうることとされ(第57条)[16]、公海はいずれかの国の領海や内水、排他的経済水域に含まれない海域であることが定められた(第86条)[6]
生物多様性の保全

2023年3月、国連海洋法条約の政府間会合は、公海での生物多様性の保全と持続可能な利用に関する条約案に合意。公海での乱獲や環境汚染を防ぐため、2030 年までに海の 30% を保護地域に設定(現時点では1.3%のみが保護地域)し、海洋の自然を保護および回復することを目指すことなどが柱となっている[17][18]
現代の公海制度
公海自由の原則「海洋の自由」も参照

公海はいずれの国による支配下にもなく、すべての国による使用のために開放されているとする国際法上の原則を、公海自由の原則という[19][20]。この自由には、どの国も公海となる海域部分の領有を禁止されるとする「帰属からの自由」という側面と[21][20][22]、国際法上の条件に従う限りどの国も自由に公海を使用することができるとする「使用の自由」という側面がある[20][22][23]。こうした考え方は18世紀に海洋の二元構造の考え方が確立して以来現代まで引き継がれてきたものである[20]。「使用の自由」として具体的には航行の自由、上空飛行の自由、漁獲の自由、海底電線・海底パイプライン敷設の自由、人工島など海洋構築物建設の自由、海洋科学調査の自由が国連海洋法条約第86条第1項には明文化されている[6][20][23]。公海を使用するにあたっては、同じように公海使用の自由を有する他国の利益に「合理的な考慮」を払わなければならず(公海条約第2条、国連海洋法条約第87条第2項)、そうした考慮を欠いた形で公海を使用すれば国際法違反とみなされ国家責任を追及される[23]


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