公明党
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日本政党公明党Komeito

公明党本部(公明会館)
代表山口那津男
副代表北側一雄
古屋範子
斉藤鉄夫
幹事長石井啓一
参議院議員会長西田実仁
成立年月日1964年11月17日[注釈 1][2][3]
前身政党公明政治連盟[4]
本部所在地〒160-0012東京都新宿区南元町17
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分44.4秒 東経139度43分16.9秒 / 北緯35.679000度 東経139.721361度 / 35.679000; 139.721361
衆議院議席数32 / 465   (7%)(2021年11月1日現在)
参議院議席数27 / 248   (11%)(2022年10月7日現在)
都道府県議数206 / 2,644   (8%)(2023年12月31日現在[5]
市区町村議数2,667 / 29,135   (9%)(2023年12月31日現在[5]
党員・党友数約450,000人(2023年3月27日現在“党概要”. 公明党ウェブサイト. https://www.komei.or.jp/about/outline/ )
政治的思想・立場中道[6][7][8][9][注釈 2]
リベラル[11][12]
人間性社会主義[13][14][15]
地球民族主義[14][16]
草の根民主主義[16]
地方主権[16]
人間主義[16][17]
国連中心主義国際主義[16][17]
平和主義[18]
政治改革行財政改革[19]
生命の尊厳[16]
生活者優先[16]
大衆とともに[16]
庶民の党[16]
人間と自然の調和[16]
機関紙『公明新聞[20][21]
政党交付金3005417000 円(2021年10月20日決定[22]
法人番号8011105001478
公式サイトkomei.or.jp
創価学会第3代会長(現:名誉会長)池田大作を創立者とする。創価学会を母体とする。
シンボルマーク「全ての人々に平等に降り注ぐ太陽[23]
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公明党(こうめいとう、英語: Komeito[注釈 3])は、日本の政党[4]宗教団体創価学会[25]を支持母体として中道政治の実現を目指して結成された[26]

略称は公明[27]。1字表記の際は公[27]。現在の党キャッチコピーは、「小さな声を、聴く力。」[28][29]

1999年10月5日から2009年9月16日まで、および2012年12月26日から現在まで自由民主党自公連立政権を構成している[30][31][32][33]
概説

1964年の結党後、党としては1965年第7回参議院議員通常選挙1967年第31回衆議院議員総選挙で国会の議席を確保した。1993年第40回衆議院議員選挙での55年体制崩壊後の非自民・非共産連立政権では初の政権入りを果たし、再び野党になった自社さ連立政権下での選挙である1996年第41回衆議院議員選挙では新進党に合流し第二党になるも、その後公明党に復帰し、1999年から自民党との自公連立政権を成した。2009年第45回衆議院議員総選挙後の民社国連立政権民国連立政権では野党になったが、次の2012年第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権与党に復帰してから再び連立を形成し、2023年現在は与党である。

支持母体は宗教法人創価学会である[34][35][36][37][38][39]作家及び元外交官佐藤優のようにキリスト教徒の公明党支持者もいる[40][41]政教分離に関しては、1988年の国会議員からの質問主意書に対して内閣は、政党は憲法第二十条第一項後段の「政治上の権力」に当たらないと回答している[42][43]。また、2014年の質問主意書への回答でも、政党所属者が公職に付き国政を担っても「政治上の権力」の行使に当たらないとしている[44]
歴史
中道政党としての結党1964年11月17日、公明党の結成大会が日本大学講堂(現・両国国技館)で開かれた。党結成大会で鬨の声を上げる中央執行委員長の原島宏治

公明党は宗教団体創価学会が支持団体(支持母体)である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}他に支持を表明する団体などは不明であるが、過去には旧国鉄の労働組合の一つであった全国鉄道施設労働組合(全施労・国鉄分割民営化に伴い鉄労等と統合しJR総連に再編)など、公明党を支持する労働組合も存在した[要出典]。

第二次世界大戦後、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会(1991年に日蓮正宗から破門)が宗教法人として規模を拡大させ、1954年(昭和29年)11月、政界進出を目的として創設した文化部が源流である。文化部は翌1955年(昭和30年)の第3回統一地方選挙首都圏の自治体議会選挙に候補者を擁立し、合計で53議席を得た。

1956年(昭和31年)には国政進出を果たし、第4回参議院議員通常選挙(1956年)で3議席を、第31回衆議院議員総選挙(1967年)で25議席を獲得した[45]

初期の政界進出の旗振り役となったのは創価学会第2代会長戸田城聖と後の第3代会長池田大作である。政界進出の動機としては以下が挙げられる。

国民生活を改善するには、密接にかかわっている政治を変革することが大事である。

政界に創価学会の人材を輩出しより良き社会を建設する。

住民のための、住民による政治[46]

1960年(昭和35年)に池田が第三代会長に就任すると政界進出の動きは加速し、1961年(昭和36年)には政治局、同年11月には政治団体の公明政治連盟(こうめいせいじれんめい)へと改組し、メディアの発信や各界への人材輩出を強化した[47]

1963年(昭和38年)の東京都議会議員選挙(都議選)では17議席を獲得し、55年体制の下、戦後しばらく日本の国政で二大政党制を構成した自由民主党・日本社会党に次いで第3党に躍進する。

1964年(昭和39年)に創価学会から公明政治連盟が切り離されて独立し、現在の日本の国政政党の公明党が誕生した。11月17日の結党大会は当時国内で最大級の規模を誇る施設であった日本大学講堂(現・両国国技館)で挙行され、1万5000人の党員が集結した。結成大会にはニューヨーク・タイムズ含め外国メディア14社の記者が取材に訪れた[48]

綱領は次のようなものであった。

一、宇宙時代にふさわしい世界観、恒久平和への新しい指導理念の確立が、今日ほど強く渇仰される時代はない。この待望の指導理念こそ、生命哲学の神髄、王仏冥合の大理念であると堅く信ずる(注:王仏冥合、読み:おうぶつみょうごう=王法とは政治を意味し、仏法とは思想であり生命哲学である。この王法と仏法を冥合させて、社会の繁栄と個人の幸福を一致させるという政治理念[49])。公明党は、王仏冥合の大理念を高く掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎を築くことを誓うものである。

二、資本主義社会主義の両体制に共通する基本的欠陥は、人間疎外、人間性の抑圧である。公明党は、豊かなる人間性の尊重を基調とする人間性社会主義によって、個人の幸福と社会の繁栄が一致する大衆福祉の実現を確約するものである。

三、公明党は、国民大衆の中に仏法民主主義、すなわち人間性尊重を基調とした真実の民主主義の基盤をつくり、大衆とともに前進する真実の大衆政党である。言論、思想、信仰の自由等、基本的人権を尊重するはとうぜんである。われわれは大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいくことを誓うものである。

四、大衆をして政治不信のやむなきにいたらしめたのは、まったく既成政党の重大な責任といわねばならぬ。また政治の賄賂は、とくに選挙の腐敗に端を発する。公明党は、腐敗選挙を徹底的に追放し、腐敗政治と断固戦って、公明なる議会制民主政治を確立することを誓う。

その後、国政では1967年(昭和42年)に衆議院参議院両院で45議席を獲得する大所帯となり、国会でも第三党の勢力を形成する程になる。この年の党大会では委員長に竹入義勝、書記長に矢野絢也が就任する。結党当初の公明党は国政・地方政治ともに行政当局との関係が希薄であったため、徹底した現場主義・調査主義に力を注いだ。公明党公式ホームページによると公明党参院議員の矢追秀彦イタイイタイ病公害病問題解決に尽力した[50]

特に、安全保障面で在日米軍基地や米国統治下の沖縄の軍事基地問題については防衛施設庁(現在の防衛省の一部)以上の調査を行い、防衛施設庁から「大いに参考になる」とのコメントが発表されるほどであった[要出典]。


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