八重山地震
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
本震
発生日明和8年3月10日(1771年4月24日)
発生時刻8時ごろ
震央.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度00分 東経124度18分 / 北緯24.0度 東経124.3度 / 24.0; 124.3
八重山地震(やえやまじしん)は、1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時頃に八重山列島近海を震源として発生した地震である。
この地震が引き起こした大津波により先島諸島が大きな被害を受けた。この大津波は、牧野清による『八重山の明和大津波』(1968年)[4]以降、日本の元号を取って明和の大津波とも呼ばれている[5]。 地震発生のメカニズムは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むために生ずる、歪みがもとで発生した海溝型地震と考えられており、地震によって発生した海底地すべりが大津波を引き起こしたとされる[6][7]。 東北大学災害科学国際研究所の調査によれば、津波で陸に打ち上がったと伝えられるサンゴ巨礫(津波石)を南西諸島の10の島において調査した結果、高波に由来する巨礫が全域に分布するのに対して、津波に由来するものは宮古列島や八重山列島に限られ、それより北の奄美諸島や沖縄諸島では発見されなかった[8][9]。これによって地震による津波の範囲が限定的であったことが明確となり、過去2,400年間にわたって約150 - 400年周期で大規模な津波が来襲したという、別の調査の結果が裏付けられた[10][11]。 当初この地震のマグニチュードは7.4と推定されていたが[12]、その根拠は不明な点が多い[2]。これは河角廣 (1951) が規模MK = 5.1を推定し、マグニチュードに換算したものであるが、河角は震央位置を示していない[13]。 対して琉球大学理学部の中村衛は、石垣島と多良間島の中間に位置する正断層(仮称:石垣島東断層)の活動により地震および津波が起こったと推測し[2]、シミュレーションの結果から、マグニチュードを7.5と見積もった。しかし、更なるシミュレーションの結果、琉球海溝内の断層の活動により、深さ6キロメートル、M8程度の津波地震が起こった可能性が高いとしている[14]。
概要
地震の規模