八重の桜
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八重の桜
ジャンルテレビドラマ
時代劇
脚本山本むつみ
吉澤智子
三浦有為子
演出加藤拓 ほか
出演者綾瀬はるか
(以下五十音順)
秋吉久美子
芦名星
綾野剛
池内博之
池田成志
市川染五郎
市川実日子
稲森いずみ
伊吹吾郎
榎木孝明
及川光博
岡田義徳
奥田瑛二
小沢仁志
オダギリジョー
小栗旬
風間杜夫
勝地涼
加藤雅也
門脇麦
貫地谷しほり
北村有起哉
吉川晃司
工藤阿須加
国広富之
黒木メイサ
小泉孝太郎
小市慢太郎
剛力彩芽
小堺一機
斎藤工
篠井英介
佐藤B作
清水?治
反町隆史
太賀
高嶋政宏
玉山鉄二
谷村美月
筒井真理子
津嘉山正種
徳重聡
中村蒼
中村獅童
生瀬勝久
西島秀俊
西田敏行
長谷川京子
長谷川博己
林与一
風吹ジュン
降谷建志
松方弘樹
松重豊
宮崎美子
六平直政
村上淳
村上弘明
柳沢慎吾
山口馬木也
山崎銀之丞
山本圭
ナレーター草笛光子
オープニング坂本龍一
時代設定幕末 - 明治30年代
製作
製作総指揮内藤愼介
プロデューサー樋口俊一
制作日本放送協会

放送
音声形式ダブルステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間2013年1月6日 - 12月15日[1]
放送時間(総合)日曜 20:00 - 20:45
(BSプレミアム)日曜 18:00 - 18:45
(再放送・総合)土曜 13:05 - 13:50
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数50
公式サイト

番組年表
前作平清盛
次作軍師官兵衛
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『八重の桜』(やえのさくら)は、2013年1月6日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第52作。主演は綾瀬はるか

2014年度国際エミー賞テレビドラマ部門ノミネート作品[2]
企画・製作

当初はまったく別の作品を計画していたものの、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生したことを受け、NHK内部で東北復興を支援する内容にすべきだとの意見が上がり方針を転換。福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった新島八重の生涯を描いた作品となることが公式発表以前にマスメディアを通して明らかにされていた[3]

同年6月22日に制作発表が行われた。この発表では同時に主演俳優も発表され、大河ドラマ初出演となる綾瀬はるかが起用されることになった[4]

クランクインは2012年9月9日。舞台となる福島県会津地方でのロケーション撮影から開始され、9月13日には鶴ヶ城において出演者による記者会見が行われた。

大河ドラマにおいて幕末期を描いた作品は、1990年代以降も幾つか制作されていたが、昭和期まで存命であった実在人物が主人公となるのは1985年の『春の波涛』以来28年ぶりとなる。

ドラマ本編は明治30年代の描写で完結しているが、最終話の紀行のコーナーでは晩年の八重本人の映像が使用された。大河ドラマの主人公となった実在人物の生前の映像が使用されたのは、本作が初めてである。

作中で会津弁を忠実に再現した結果、会津地方の人々からも「老人が使っている会津弁で聞き取りにくい」との指摘があり[5]、2013年3月10日放送分から、総合テレビジョンのデータ放送に、会津弁や歴史用語の意味を解説する機能が追加された[6]

全50回の平均視聴率は14.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)で、当時『平清盛』『花の乱』『竜馬がゆく』に続く歴代ワースト4位の数字だった。
あらすじ

この節の加筆が望まれています。

会津編

1865年アメリカ合衆国では南北戦争が終結。不要となった武器の多くが日本へもたらされることとなる。そして明治元年(1868年)、それらを装備した新政府軍の攻撃にさらされる会津若松城の中に、最新式のスペンサー銃を手に抗戦する一人の女性がいた。山本八重、後の新島八重である。

時は遡って幕末、諸外国からの開国要求が高まり、日本国内は開国派、攘夷派などの思想の違いによる分断が起きようとしていた。この時代の転換期に、会津藩の砲術師範の家に生を受けた八重は、藩軍備の洋式化を目指す兄・山本覚馬や、その友である洋学者川崎尚之助らの側で、会津地方そして日本の変化を感じていた。

幕末の争乱により治安が悪化する京都警護のため、会津藩主・松平容保京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くさんと、会津は藩を挙げて倒幕派追討への動きに加わることとなる。それは後にいわれる「会津の悲劇」の序章であった。
京都編

1868年9月22日会津戦争終結。

戊辰戦争に敗れた会津藩は「逆賊」と世間に罵られる中、八重と会津の仲間たちは新たな生き方を模索。家名再興を許された旧会津藩は、極寒の地に斗南藩をたて、飢餓や財政に苦しみながらも山川浩を中心に果敢に生きて行く。八重とその家族は兄・覚馬の生存を知り、覚馬を頼って京都市へ渡り、そこで鉄砲に変わる「学問」という、新たな生きがいを得る。

幕末の動乱で尚之助との別れを体験した八重だが、アメリカ合衆国から帰国した新島襄と出会い、心を開き結婚。キリスト教に根ざした学校を作ろうとするも、偏見を持つ人々の反発に遭い葛藤する襄を支えたのが「ならぬことはならぬ」の精神を持った八重。従来の会津の教えを「良いものは良い」と発想を転換、肯定的に捉えて邁進し同志社英学校の開校にもこぎつける。その後も、二人の夢は同志社大学設立へと向かうのである。

「ジョー」「八重さん」と呼び合うこの風変わりな夫婦が、明治という新たな時代を駆け抜けて行く。
登場人物
主人公とその一族
主人公とその伴侶
新島八重(にいじま やえ)
(山本八重 → 川崎八重 → 山本八重 → 新島八重)演:綾瀬はるか(幼少期:鈴木梨央[注釈 1][7])主人公。会津藩砲術師範・山本家の長女。米俵を軽く持ち上げるほどの腕力の持ち主で、性格は自由奔放かつ男勝り。幼い頃から砲術に興味があり、父・権八に反対されながらも、兄・覚馬から銃の手ほどきを受け技能を伸ばし、新式銃の開発にも携わるようになる。また、模擬戦の追鳥狩を木に登って見学している最中に草履を落としてしまい、家老の西郷頼母に厳しく叱責された。覚馬の勧めもあり、川崎尚之助に嫁ぐ。鶴ヶ城籠城戦では頼母から「城を守るために使え」という助言もあり男装して入城し、覚馬から贈られたスペンサー銃で戦い、活躍した。会津藩降伏後、生き残った藩士達と共に猪苗代での謹慎を望むが果たせず、米沢の内藤家に身を寄せ、この間に尚之助とは離縁。覚馬に呼び寄せられ、家族とともに京都に移住し、女紅場(女性の手仕事を教える機関)で教師として働くこととなる。その後、東京で尚之助と再会し、復縁を望むが拒まれ、京都で待っていると告げ東京を後にしたが、尚之助は間もなく亡くなる。失意の中、新島襄と出会い婚約するが、クリスチャンの襄と婚約したことで女紅場を解雇された。襄と再婚後は彼の興した同志社の経営にも関わり、彼の最期も看取る。襄の死後、覚馬の勧めで篤志看護婦人会に入会。日清戦争では看護婦として負傷者の看病に当たり、終戦後にその活躍が評価され民間の女性初の受勲者となる。
川崎尚之助(かわさき しょうのすけ)
演:長谷川博己洋学者。元出石藩士。江戸の象山塾で山本覚馬と知り合い、共に学ぶ。覚馬の人柄に惚れ込み、彼が設立する蘭学所に誘われて会津を訪れ、そのまま山本家の居候となって八重、覚馬と共に新式銃の開発を行う。藩への仕官が叶えば兵制改革がより一層進むと考えた覚馬から八重との縁談を勧められ、八重と夫婦となる。その後、働きが認められて会津藩への仕官が叶い、会津が戦火に巻き込まれる可能性を予測し、覚馬の計画を基に防衛策を練る。会津藩が着手した軍制の洋式化を中心となって進め、梶原らと共に奥羽諸藩との交渉にも参加した。会津戦争では大砲隊を率いて戦い、八重と共に奮戦した。降伏後、猪苗代の謹慎所へ同行しようとした八重を逃がし、自らは謹慎所送りとなったのち斗南に渡った。斗南藩の窮乏を掬うため米取引を行ったが、詐欺に遭って告訴され藩の指示を疑う警察に、全て自分の一存によるものと証言して責任を一身に背負って裁判を戦うこととなり、八重には事情を話せぬまま離縁。その後、東京で八重と再会し、夫婦でなくていいから側にいたいという八重の申し出に対し、裁判が終わったら必ず京都に行くと約束するが、病の悪化によって死去。八重の事を最期まで案じていた。生前、会津戦争の記録を綴った『會津戦記』をしたためており、後に山川兄弟がこれを基に『京都守護職始末』を編纂した。
新島襄(にいじま じょう)
(新島七五三太 → 新島襄)演:オダギリジョー(少年期:小林海人安中藩士・新島民治の子。前名は七五三太(しめた)。アメリカに密航し、同地で学んだキリスト教の精神で内戦に傷ついた日本の復興を助けたいと願う。帰国後、木戸孝允の紹介で京都にキリスト教を教える学校の設立を目指すが、仏教界の反発や府知事の槇村正直の非協力的な態度に苦労する。槇村の紹介で山本家に居候することになり、そこで八重と知り合う。襄は古い価値観に縛られない八重の奔放さに惹かれ、尚之助の死後、失意の内にあった八重を励ます中で絆が生まれ、結婚する。山本覚馬や大垣屋の協力で念願の学校・同志社を設立し、校長に就任。教職員や生徒との対立、私学を規制しようとする政府の圧力に苦心しながら、八重との二人三脚で乗り越えていく。同志社に大学を設立するための資金集めに奔走する中で、心臓の病が悪化し、最期は八重に看取られながら「グッバイ、また会いましょう。」と告げ、息を引き取った。
山本家とその関係者
山本覚馬(やまもと かくま)
演:西島秀俊八重の兄。会津藩士。文武両道に秀で八重の良き理解者であり、八重の熱意を認めて彼女に鉄砲の手解きをする。藩命で江戸に留学して佐久間象山の門下で学び、藩軍備の洋式化を目指すが、藩の保守的な気風に阻まれ、重役を批判して禁足処分を受けるが、西郷頼母の尽力で処分を解かれ、兵制改革の担当者に登用される。藩主・松平容保と共に上洛し京都の治安維持に当たり、禁門の変でも活躍するが、眼に異常を感じ、白そこひと診断され、失明宣告を受ける。鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、戦を止めるべく大坂に赴こうとするが、途中で薩摩兵に捕えられ幽閉される。獄中では会津を救うための嘆願を続ける一方、政治意見書『管見』を作成した。獄中にある間に完全に失明し、また薩摩兵に暴行された後遺症で歩行困難な身となった。戊辰戦争後、『管見』を読んだ岩倉具視の推薦で京都府に顧問として出仕、京都の復興と文明開化の中心人物となり、襄の学校設立にも協力するが、知事の槇村と対立して解雇される。後に府会議員に当選し、初代議長に就任。議会で槇村の横暴に立ち向かい、最後は槇村と刺し違える形で府議を辞職した。その後は、商工会議所会長に就任し、引き続き京都の発展に尽くした。襄の死後、同志社の臨時総長を務めた。


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