八里橋の戦い
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八里橋の戦い

橋前へ進攻したフランス軍、ロンドン・ニュース
戦争:アロー戦争
年月日:1860年9月21日(当日終了)[1]
場所:北京八里橋
結果:イギリス軍フランス軍の大勝
交戦勢力
大清帝国 イギリス
フランス帝国
指導者・指揮官
センゲリンチン James Hope Grant
Charles Cousin-Montauban
アロー戦争


広州

大沽砲台 (1858)

大沽砲台 (1859)

大沽砲台 (1860)

八里橋

北京

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八里橋の戦い(はちりはしのたたかい)は、北京に程近い戦場で発生したアロー戦争での戦いの1つである。当時の戦況は清軍劣勢で、清軍は大沽砲台より敗走していたが、西洋軍の歩調は速く、清軍の直前まで進軍していた。1860年9月、八里橋での戦闘がはじまり、最終的にイギリスとフランス軍が勝利した。八里橋が陥落したことにより、北京への道が開けた。

イギリスとフランス軍は、当時としては最新の武器であるアームストロング砲斉射戦術を使用して[2]、清軍の騎兵隊を打ち払った。戦闘は瞬く間に終了し、清朝の咸豊帝熱河避暑山荘へ逃亡した。
脚注^ (中国語)“ ⇒第十三章 八里??役(1)”. 新浪?? (2008年3月22日). 2011年7月29日閲覧。
^ (中国語)“ ⇒第十三章 八里??役(2)”. 新浪?? (2008年3月22日). 2011年7月29日閲覧。


更新日時:2019年5月15日(水)15:23
取得日時:2019/08/15 17:39


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