八甲田丸
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青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の位置
施設情報
正式名称青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸[1]
事業主体青森市
管理運営指定管理者:NPO法人あおもりみなとクラブ
所在地 日本
青森県青森市柳川一丁目112番15地先公有水面
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度49分53.8秒 東経140度44分11秒 / 北緯40.831611度 東経140.73639度 / 40.831611; 140.73639 (青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸)座標: 北緯40度49分53.8秒 東経140度44分11秒 / 北緯40.831611度 東経140.73639度 / 40.831611; 140.73639 (青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸)
プロジェクト:GLAM
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可動橋・車両搬入口 煙突と下船口
ファンネルマークは運航末期のJRマークから国鉄時代のJNRマークに復元されている 操舵室

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(せいかんれんらくせんメモリアルシップはっこうだまる)は、青森県青森市柳川にある博物館である。青函トンネル開業により青函連絡船が廃止になった後、「海の街」青森の記念碑にしようと1990年(平成2年)、青函航路の花形だった八甲田丸を、往時に近い状態で海上博物館として利用しつつ、保存している。
概要

八甲田丸は津軽丸型 第2船として第1船津軽丸(2代)に遅れること4か月の1964年(昭和39年)7月31日に竣工し、この3か月後には第3船松前丸(2代)が竣工しており、これら3隻は当時の最先端技術導入で試行錯誤しながらの建造であった。しかし、八甲田丸に採用された係船機械やヒーリング装置その他が、第4船以降の津軽丸型各船に引き続き採用されたこともあり、これらの機器類が異なった第1船と第3船が、耐用年数18年の1982年(昭和57年)に早々に引退したのに対し、八甲田丸は延命工事を受け1988年(昭和63年)3月13日の青函航路終航まで、歴代の青函連絡船では最長となる23年7か月間運航された[2]

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸は、この八甲田丸を青函連絡船終航後廃止された青森第2岸壁に繋留した状態で展示した博物館船で、青森市の文化交流施設として、管理運営は特定非営利活動法人“あおもりみなとクラブ”が受託している。

内部は地下1階(第二甲板)から4階(航海甲板)まである。1階(車両甲板)には、北海道特急として使用されたキハ82形特急形気動車郵便車スユニ50、車両甲板への出し入れ時に用いられた控車ヒ600形などが展示されている。また、2階(船楼甲板)、3階(遊歩甲板)は、普通船室(桟敷席、椅子席)、グリーン船室(桟敷席、指定椅子席、自由椅子席)、寝台室などが一部往時のまま残され、椅子席には実際に座ることができる。立体映像や模型を使って青函航路の歴史が一目でわかるように工夫され、運航のシミュレーションゲームやパソコンクイズなどもある。

2012年(平成24年)には、解体されることになった羊蹄丸船内に展示されていた往年の青森の街を再現した原寸大ジオラマ「青函ワールド」が移設され、建物や商品といった大道具・小道具類、人物人形などの展示が加わった。

現役当時は旅客が立ち入ることができなかった船橋や車両甲板、機関室の一部も開放されており、煙突は展望台となって青森港や青森市内などを眺めることができる。また、館内には、立体画像で連絡船の活躍当時などを伝えるシアター等が設けられている。

第2岸壁には可動橋は保存されているが、駅構内から続いていた線路や桟橋建屋、乗降設備等は既に撤去されており、青森駅ホーム北端と桟橋建屋をつないでいた跨線橋も閉鎖されているため、現役時代のように青森駅から直接は行けず、青森駅ホーム南側跨線橋を経由して一旦東口から駅外へ出て、かつて第1岸壁、第2岸壁の可動橋へ繋がった航送仕訳線跡に造られた道路を通り、斜路または階段で2階の入口(船楼甲板:乗船口)まで行く必要がある。陸上・船首側には、石川さゆりのヒット曲・津軽海峡・冬景色のメロディが流れる碑が設置されている。

青森ウォーターフロント一帯はみなとオアシスに登録していて、当館はみなとオアシスあおもりの中心施設である。
施設内配置

八甲田丸

基本情報
船種客載車両渡船
船籍 日本
運用者日本国有鉄道(1964年-1987年)
北海道旅客鉄道(1987年-1988年)
建造所三菱重工神戸造船所 [3]
姉妹船津軽丸(2代)松前丸(2代)
大雪丸(2代)摩周丸(2代)
羊蹄丸(2代)十和田丸(2代)
信号符字JRRX
経歴
起工1963年(昭和38年)12月9日
進水1964年(昭和39年)4月15日
竣工1964年(昭和39年)7月31日
就航1964年(昭和39年)8月12日
終航1988年(昭和63年)3月13日
要目 (新造時)
総トン数8,313.75トン
(5,382.65トン[4][5]
全長132.00m
垂線間長123.00m
型幅17.90m
型深さ7.20m
満載喫水5.20m
主機関単動4サイクルトランクピストン
排気ターボ過給機付ディーゼル機関
川崎 MAN V8V 22/30mAL
8台
最大出力12,475軸馬力[4]
定格出力1,600制動馬力×8
最大速力20.93ノット [6][4][7]
航海速力18.20ノット
旅客定員1,200名
乗組員53名
車両搭載数ワム換算48両
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地下1階(第二甲板)

第1主機室、総括制御室、発電機室


1階(車両甲板)

DD16 31、ヨ6798(ヨ6000形)、ヒ833・ヒ834ほか2両(ヒ600形)、スユニ50 509・スユニ50 510(郵便荷物車)、キハ82 101を展示。


2階(船楼甲板)

乗船口

受付カウンター

飲食スペース(休日のみ営業のカレーショップ、団体予約のみのスペース)


3階(遊歩甲板)

津軽海峡文化コーナー

青函連絡船記念館(資料展示)

青函ワールド(フローティングパビリオン羊蹄丸より移設)

グリーン船室

船長室

寝台室


4階(航海甲板)

操舵室

通信室

煙突展望台


沿革
青函連絡船

1964年(昭和39年)

4月15日 - 新三菱重工神戸造船所にて進水[3]

7月31日 - 三菱重工神戸造船所にて竣工

8月8日 ? 函館港回着[8]


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