この項目では、京都市の八木邸について説明しています。その他の八木邸については「八木家住宅」をご覧ください。
八木邸
入口
所在地京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分7.34秒 東経135度44分37.71秒 / 北緯35.0020389度 東経135.7438083度 / 35.0020389; 135.7438083
八木邸(やぎてい)は京都府京都市中京区壬生にある郷士八木家の邸宅で、幕末に新選組の屯所として使われた。 2018年(平成30年)現在も八木源之丞の子孫が継承している[1]一方、歴史的建築物として一般に公開されている[2]。芹沢鴨が暗殺された際に付いたとされる刀傷など、新選組にかかわる遺構がある。 八木家の始祖は八木又兵衛。壬生村の郷士。越前の戦国大名・朝倉義景の子[3]。八木家のウェブサイトでは、「但馬国で八木安高により起こった」としている[4]。源頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと伝わる[4]。室町時代に京の壬生に移ったとする[4]。 八木邸のある壬生の地は水が豊かで農耕に適した土地であり、京都でも有数の農業地帯であった[5]。八木邸は小高い場所に建てられた。幕末には江戸浪士の宿所となる[4]。 文久3年(1863年)2月23日、浪士組として上洛した近藤勇と試衛館一門の7名、及び芹沢鴨、新見錦、平山五郎、平山重助、野口健司らが投宿した[6]。その後、浪士組の江戸への引き上げの際に残った芹沢鴨、近藤勇ら13名はそのまま八木邸に残り、同年3月16日「松平肥後守御領新撰組宿」と八木家右門柱に表札が掲げられる。同年9月18日芹沢鴨、平山五郎ら4名が八木邸奥座敷にて暗殺される[7]。 1983年(昭和58年)6月1日、京都市指定有形文化財に指定される。 ※ 現在の八木家は和菓子店を営み、見学者には「屯所餅」が出される[2]。
概要
歴史
観覧情報
営業期間:9時?17時、休業は不定。
交通アクセス
阪急京都本線 大宮駅または京福嵐山本線 四条大宮駅より四条通を西へ徒歩で約6分、坊城通を南へ徒歩で約4分、さらに西へ徒歩で約8分。
脚注^ ⇒当主のご挨拶 - 八木家ウェブサイト(2018年9月26日閲覧)
^ a b ⇒見学のご案内 - 八木家ウェブサイト(2018年9月26日閲覧)
^ 八木喜久男,p20
^ a b c d ⇒八木家の歴史 - 八木家ウェブサイト(2018年9月26日閲覧)
^ 八木喜久男,p58
^ 歴史春秋社,p18
^ 八木喜久男,p92
参考文献
八木喜久男『八木家と新撰組』角川書店、2006年
『会津藩と新撰組』歴史春秋社、2003年
外部リンク
⇒八木家
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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