八木・宇田アンテナ
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「八木アンテナ」はこの項目へ転送されています。かつて同名だった企業については「HYSエンジニアリングサービス」をご覧ください。

八木・宇田アンテナ(やぎ・うだアンテナ、英語: Yagi-Uda Antenna)は、アレイアンテナの一種。通常、ダイポールアンテナ素子としており、宇田新太郎の主導的研究によって、八木秀次との共同で発明された。別称として、指向性短波アンテナや八木アンテナという名称が流通している(下記の名称についてを参照)。

主にテレビ放送FM放送の受信用やアマチュア無線業務無線基地局用などに利用される。
概要アナログ放送時代のテレビ受信用八木・宇田アンテナ(上段がVHF帯域用、下段がUHF帯域用)
広帯域化の工夫がされた八木アンテナである。受信用では送信所が左側にあることになる一方、もし仮に送信用に用いられるとすると、電波は主に左側に飛ぶ。上 : 5素子八木・宇田アンテナ
下 : スタックの種類
水平に並べるのは正しくは「パラレル」(パラ)であるNHK放送博物館に展示された1930年当時の研究用八木・宇田アンテナ(これと同様のものが、東北大学電気通信研究所の資料展示室[1]にも陳列されている)。他の画像は水平偏波を受信するよう設置されているが、ここでは導波・輻射器が縦向きなので垂直偏波を受信する。機首に八木・宇田アンテナを装備しレーダーを搭載したメッサーシュミット Bf110G2

一番後に反射器(リフレクタ)、その前に輻射器(給電する部品。ラジエータ。別称:投射器)、その前に導波器(ディレクタ)の素子(エレメント)を並べた構造になっている(図を参照)。

原理上、アンテナの横幅が実用的な大きさを超えるために周波数が低いキロヘルツ帯の受信に使用されることは少ない。FMラジオ放送やテレビなどの電波で使われているメガヘルツ帯の電波に対して実用的だが、VHF帯域とUHF帯域でも最適なアンテナの横幅と間隔が異なり、さらに指向性の強さと併せて、受信感度が高い周波数帯も狭い性質がある。このため、テレビアンテナには二種類の八木アンテナが使用される事が多い。

導波器は棒状で輻射器よりも短く、反射器は同形状で輻射器よりも長い。このアンテナは指向性があり、その方向は反射器から導波器の方向になる。なお、導波器の横幅は受信する周波数によって決まるため、周波数が低いほど広く、高いほど短くなるので、素子の横幅を見ると、大まかな使用される周波数帯がわかり、テレビアンテナのVHF帯域とUHF帯域で、明らかにUHF帯域の方が横幅が狭いので識別できる。

八木・宇田アンテナと非常によく似た形の位相差給電アンテナ対数周期アンテナ(ログペリオディックアンテナ。通称 : ログペリ)があるが、これらは原理が異なる別のアンテナである。

今日の超短波 (VHF) 帯以上の実用的な構成としては反射器は通常1素子を、導波器は複数を用いて指向性を鋭くアンテナの利得を高くするようにしている。輻射器としては半波長ダイポールアンテナまたは折返しダイポールアンテナが用いられる。垂直偏波の場合は、スリーブアンテナブラウンアンテナが用いられることもある。

反射器・輻射器・導波器を並べて指向性・利得を上げる設計は、本来のダイポールアンテナの他に、ループアンテナヘンテナ等にも適用でき、特に反射器と導波器を持つループアンテナはループ八木アンテナもしくはリングアンテナと言う。いずれにおいても、導波器と輻射器の形状は大抵同じなのに対して、反射器の形状は通常左右上下対称にはなっているが、必ずしも輻射器の形状とは同じではなく、またそのサイズも必要な利得によって異なる。利得に余裕がある場合は台風などによる破損を避ける意図で反射器を取り外す事例もある。
テレビ受信用

電波を受信する際、素子数が少ないほど利得が小さく近距離受信に向いており逆に多いほど利得が大きく遠距離受信に向いている。一般的に放送区域内の極超短波(UHFテレビ)放送受信には中距離受信用(14 - 20素子程度が多い、電界強度が非常に強い場合はそれより少ない素子数のものを用いる)のアンテナをアナログ放送は地上3 - 10m程度の高さ、デジタル放送は地上10m程度の高さで受信、放送区域外の場合は遠距離受信用(20 - 30素子程度、場合によってはパラスタックアンテナ)のアンテナで受信する。

なお、素子を増やせば増やすほど素子1本追加する毎の利得の伸びは小さくなり、それに加えて、形状が非常に大きくなり設置が困難となるため一般に市販されているテレビ放送受信用の場合VHFで15素子、UHFで30素子(パラスタックアンテナの場合も表記上は最大30素子だが正確には導波器が四つ一組になっているので実質114素子相当になる)、FM放送受信用の場合10素子を超えるアンテナは一般的ではない(かつてはマスプロ電工で10素子用のFMアンテナ「FM10」を生産していた)。しかし、指向性は鋭くなるため混信防止などの目的でこれらの数を超える素子のアンテナが用いられることもある。反射器はFM受信用やアマチュア無線、防災無線用八木アンテナが大抵1素子であるが、テレビ用の八木アンテナは反射器の構造はコーナーリフレクターアンテナをベースにしている製品が多く、反射器が3素子から10素子、くの字や円弧状に並んで立体構造になっていたり、反射器の形状が導波器の形状とは異なる、「目」や「曲」の字の形状の反射器2つを二枚貝のように繋いだ反射器が多く見られる。UHFアンテナを真横(垂直編波の場合。水平偏波なら真下や真上)から見ると、テレビの送信所と反対の方角を向いた矢印のように見える。

主に放送受信用として利用されている各周波数帯用のアンテナの種類は、FM放送用 (76 - 90MHz) ・VHFローチャンネル (1 - 3ch) 用・VHFハイチャンネル用 (4 - 12ch) ・VHFマルチチャンネル用(VHF全1 - 12ch)・UHFローチャンネル用(主に13 - 28ch)・UHFハイチャンネル用(主に25 - 62ch)・UHFマルチチャンネル用(UHF全13 - 62ch※現在は主に13 - 52ch)などがある。また、VHF・UHF共用のアンテナも存在する(主に関西地方北海道渡島地方などVHFとUHFの送信所が同方向の地域で利用されるほか地上アナログ放送地上デジタル放送の受信アンテナを一本化できるため、関東地方でも立てている世帯もわずかながらある)。なお、VHF用アンテナとVHF・UHF共用アンテナについては地上デジタル放送(UHFのみを使用)への移行に伴い2010年8月末までに国内メーカー全社が生産終了した。ただし、VHF帯FMラジオ受信用[2]の八木・宇田アンテナの生産は継続している(2020年6月現在)。

送信アンテナから近く十分に電界強度がある地域でも、素子数の多いアンテナを使う方がよいことがある。ビル街や地形などによりマルチパスが生じている場合である。素子数が多いアンテナは指向性が鋭いので、マルチパスの影響を受けにくくなるからである。指向性を鋭くするには素子数の多いアンテナを使う以外に、スタックを組む方法もある。水平面の指向性を鋭くするには水平スタック(パラレルとも言う)を組み、垂直面の指向性を鋭くするには垂直スタックを組む。水平スタックは例えば方角の異なる送信所との混信をより強力に抑制するのに役立ち、垂直スタックは高所の飛行機などからのノイズを抑制するのに役立つ。スタックはテレビ受信用よりも、防災無線やアマチュア無線などの素子数の少ない(パラスタックアンテナの開発がサイズや重量の制約や需要の少なさゆえ行われない)アンテナに多く用いられている。例えばテレビと違う波長のアンテナが小中学校の屋上や町内放送のスピーカーを支える鉄塔に設置されていて、しばしば水平スタックになっている。また、集合住宅などにおいて、一見すると垂直スタックだが、実際にはテレビや録画機の接続台数が多くて一つのアンテナでは出力が足りない、あるいは一時期地上デジタル放送とアナログ放送を併用した時の都合で垂直にアンテナを2個から3個並べて出力を合流させずに別々に配線している事例も見られる。

八木・宇田アンテナの発明者である八木秀次博士が設立したメーカー・八木アンテナ株式会社(現在の株式会社HYSエンジニアリングサービス[3]は、2013年11月末日をもってテレビ受信用アンテナと関連する大部分の製品について製造及び販売を終了している。その後も同社直営の通信販売部門で一部の製品を継続販売していたが、2014年12月にホームページにおいて、2015年2月27日をもって営業を終了することが掲載された。
歴史
発明

発明[4]の発端は、当時八木と宇田が所属した東北帝国大学工学部電気工学科で行われていた実験にあった。

1924年、八木の指導のもとで卒業研究中だった学生・西村雄二は、電磁波の中に種々のコイルを置いて、その近傍の電磁波強度(今日でいう棒状アンテナに流れる高周波電流値)を測定して、コイルの形状の変化に伴って測定値がいかに変わるかを調べる実験中に、条件によって電流計の針が異常な振れ方をすることを発見した。西村の卒業後、八木と助手がこの原因を探求する中で、コイルを金属棒に置き換えて電磁波の来る方向に置いてみると、異常な振れはその長さが関係していることが突き止められた。

1925年9月、八木はこれらの結果とその原理を、西村の論文の後につける形で発表した。ここからこのアンテナの基本となる原理が発見[5][6][7]され、以後八木の原理的解明・発展の指導のもとで、西村の同級生で大学院で研究を続けていた宇田の主導的な実験により詳細な解明が進められた[8]


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