八戸駐屯地
八戸駐屯地
IATA: ? - ICAO: ?
概要
国・地域 日本
所在地青森県八戸市大字市川町字桔梗野官地
種類軍用
所有者防衛省
運営者陸上自衛隊
標高46 m (152 ft)
座標北緯40度33分24秒 東経141度27分58秒 / 北緯40.55667度 東経141.46611度 / 40.55667; 141.46611座標: 北緯40度33分24秒 東経141度27分58秒 / 北緯40.55667度 東経141.46611度 / 40.55667; 141.46611
地図
空港の位置
滑走路
方向 長さ (m) 表面
06/24 640 コンクリート
11/29 360 コンクリート
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八戸駐屯地の位置
八戸駐屯地(はちのへちゅうとんち、JGSDF Camp Hachinohe)は、青森県八戸市大字市川町字桔梗野官地に所在し、第4地対艦ミサイル連隊等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。目次 駐屯地司令は、第4地対艦ミサイル連隊長が兼務。駐屯地北東に隣接して演習場(八戸演習場)がある。 飛行隊、高射特科などが配置され、青森駐屯地と並んで第9師団の中核をなす駐屯地である。海上自衛隊八戸航空基地と隣接しており、一体化しているように見えるが、第9飛行隊が使用する滑走路を含め、完全に別個に運用されている。 連合軍占領時代には進駐軍(アメリカ軍)が駐留し、“キャンプ・ホーガン(Camp Hogan)”の名称で呼ばれた。駐屯地内にはキャンプ・ホーガン時代に建設された尖塔(鐘楼)付き教会があり、現在は銃剣道の道場となっている他、やはりアメリカ軍駐留時に建設された将校クラブがあり、こちらは戦術講堂と資料館(「防衛館」)となっている。防衛館の東側の敷地には退役したものを展示品とした74式戦車や61式戦車他の車輌と火砲、ヘリコプターといった歴代の装備が屋外展示されている。 日本陸軍 アメリカ陸軍 警察予備隊 保安隊 陸上自衛隊
1 概要
2 沿革
3 駐屯部隊
3.1 第9師団隷下部隊
3.2 東北方面隊隷下部隊
3.3 防衛大臣直轄部隊
4 最寄の幹線交通
5 脚注
6 外部リンク
概要
沿革
1939年(昭和14年):前身となる日本陸軍飛行場の建設が開始される。
1941年(昭和16年):日本陸軍八戸飛行場として完成。
1945年(昭和20年)9月:アメリカ陸軍第8軍第9軍団第81師団が進駐。「キャンプ・ホーガン」と改称される。この時期に大規模拡張が行われ、海上自衛隊基地を含む現在の面積に拡張された。
1950年(昭和25年)5月:朝鮮戦争により駐留する米第81師団の大半が移動。
1950年(昭和25年)9月:敷地の一部が返還され、警察予備隊八戸駐屯地と改称される。
1952年(昭和27年)10月15日:保安隊の発足により保安隊八戸駐屯地に改称される。
1956年(昭和31年)
3月:駐留する米第81師団の大津駐屯地(滋賀県)への移駐が決定。米軍に替わり陸上自衛隊第5普通科連隊が青森駐屯地より移駐することとなり、米軍部隊の撤収と陸上自衛隊部隊の移動が行われる。
5月:敷地の全域が日本に返還される。
5月31日:第5普通科連隊が青森駐屯地より移駐を完了し、陸上自衛隊駐屯地として正式に発足する[1]。
1957年(昭和32年)3月5日:第9施設大隊が福島駐屯地から移駐。
1959年(昭和34年)3月30日:第122特科大隊が真駒内駐屯地から移駐し、第9混成団隷下に編入。
1962年(昭和37年)
8月14日:第5普通科連隊が青森駐屯地へ再び移駐。
8月15日:第9師団編成に伴い改編。
第38普通科連隊が第5普通科連隊を母体として新編。
第39普通科連隊が第5普通科連隊を母体として新編。
第9戦車大隊が新編。
第9対戦車隊が新編。
1968年(昭和43年)3月25日:第39普通科連隊が弘前駐屯地に移駐。
1970年(昭和45年)3月31日:第9戦車大隊及び第9対戦車隊が岩手駐屯地へ移駐[2]。
1972年(昭和47年)