八戸駅
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この項目では、2代目の八戸駅について説明しています。初代八戸駅については「本八戸駅」をご覧ください。

八戸駅
東口(2011年10月)
はちのへ
Hachinohe


所在地青森県八戸市大字尻内町字館田
所属事業者

東日本旅客鉄道(JR東日本)

青い森鉄道

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西口(2021年8月)

八戸駅(はちのへえき)は、青森県八戸市大字尻内町字館田(たてだ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・青い森鉄道である。
乗り入れ路線

JR東日本の東北新幹線八戸線、青い森鉄道の青い森鉄道線が乗り入れており、接続駅となっている。なお、日本最東端の新幹線駅であり、北海道新幹線の終点予定駅である札幌駅よりも東に位置する[新聞 1][注釈 1]

国鉄民営化以降、当駅はJR東日本の単独駅であったが、2002年12月1日に東北新幹線が当駅まで延伸したことにより、JR東北本線目時駅 - 当駅間は青い森鉄道に移管された。その時点では当駅 - 青森駅間は東北本線として残ったが、この区間も2010年12月4日に東北新幹線が新青森駅まで延伸したことで青い森鉄道に移管された。これに伴い、在来線構内はJR東日本の在来線である八戸線も含め、青い森鉄道の管轄となった。

かつては三戸郡五戸町にあった五戸駅に至る南部鉄道の起点だったが、1968年に発生した十勝沖地震の影響により、1969年に同線は廃止された。

青森県内の東北新幹線は並行在来線の青い森鉄道線(旧東北本線)とは大きく離れたルートを採っており、在来線との接続駅は当駅と新青森駅のみである(中間の七戸十和田駅は単独駅)[注釈 2]。また、新青森駅は東北新幹線の並行在来線とは異なる奥羽本線との接続であり、青森県内で東北新幹線と並行在来線が直接接続しているのは当駅のみとなっている。

なお、青い森鉄道線共通の事柄として、青森県第三種鉄道事業者として施設を所有し、青い森鉄道と日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者として列車を走らせている。
歴史

当駅は開業当初は尻内駅と称し[1]、駅の場所も駅開業当時は八戸市外の上長苗代村だった。

当初東北本線盛岡以北の路線については、建設の容易さから八戸近辺を経由する路線案を推す日本鉄道側と、国防上の理由から秋田寄りの内陸側を経由する案を推す陸軍省側の対立があった。最終的には鉄道局の裁定により、八戸近辺の路線案が採用された[2]。はやてと呼ばれた伝染病問題や陸海軍綱引き問題などが現在の八戸市尻内に駅が置かれた理由として挙げられる一方で、八戸近辺案が採用されるだけでなく軍への配慮で鉄道局から技師に対して詳細な路線の策定は海から離れた位置に行うように指示されたためというのが日本鉄道の公式見解[3]である。

結果として現在の八戸市中心市街地(設置当時は八戸町)から離れた位置に駅が開設され、のち1894年(明治27年)に青森線支線(のちに八ノ戸線、八戸線に改称)が開業し当時の八戸市内に乗り入れ、八戸市中心部に八ノ戸駅(1907年(明治40年)に八戸駅に改称)が新設された。上長苗代村が1955年(昭和30年)に八戸市に編入されたことにより当駅も八戸市内となり、1971年(昭和46年)には当駅が八戸駅に改称された。
年表

1888年明治21年)4月25日:鉄道局が盛岡以北の路線について、八戸近辺を経由する路線とすることを決定。

1891年(明治24年)9月1日日本鉄道青森線(のちに東北本線に改称)の尻内駅(しりうちえき)として開業[1][4]一般駅[1]。東口供用開始。

1892年(明治25年)5月:吉田屋の八戸駅構内営業が許可される。

1894年(明治27年)1月4日:青森線支線が八ノ戸駅(のちに八戸駅、本八戸駅に改称)まで開業[5][4]

1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化[6]官設鉄道の駅となる[4]

1929年昭和4年)8月23日:五戸電気鉄道(のちに五戸鉄道、南部鉄道に改称)の尻内駅が開業。

1947年(昭和22年)8月10日昭和天皇の戦後巡幸があり、翌日にかけてお召し列車が発着[7]

1949年(昭和24年)6月1日公共企業体日本国有鉄道の発足により、その所属となる。

1967年(昭和42年)6月1日:「みどりの窓口」設置。

1968年(昭和43年)5月17日十勝沖地震により南部鉄道が壊滅的な被害を受け休止。

1969年(昭和44年)

2月10日:八戸運輸長を配置(現在は八戸駅長兼務の八戸地区駅長)。

4月1日:南部鉄道廃止。


1970年(昭和45年)8月27日:日本飼料ターミナルの営業所が駅構内に開業。

1971年(昭和46年)

2月10日:尻内駅旅客営業センター設置。

4月1日:八戸駅(2代目)に改称[6][4]。先んじて2月1日に八戸駅(初代)は本八戸駅に改称された[4]

10月1日:日本飼料ターミナル・専用線発着を除く貨物の取扱を廃止、八戸貨物駅に移管。


1973年(昭和48年)2月15日:八戸駅旅客営業センターを格上げし、八戸駅旅行センター設置(東急観光と提携)。

1986年(昭和61年)

4月1日:日本飼料ターミナルの営業所が閉鎖。

11月1日:貨物の取扱を全廃、旅客駅となる[6]


1987年(昭和62年)

3月31日:貨物の取扱を再開、戸籍上一般駅に戻る[6]

4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本・JR貨物の駅となる[6][4]


1991年平成3年)11月20日:駅旅行センターをびゅうプラザに名称変更[新聞 2]


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