八戸市営バス(はちのへしえいバス)は、青森県八戸市の八戸市交通部が運営している公営バス。
営業所
旭ヶ丘営業所に交通部庁舎が併設されている。
戦後の再発足時には、戦前から車庫が置かれていた新荒町に営業所が設置され、次いで1952年に新荒町営業所近隣に整備工場、1959年に鮫町に車庫が開設された。1959年に新荒町近隣に大杉平営業所が開設され、1963年に整備工場が大杉平営業所内に移転、検車制度が導入された。1964年に旭ヶ丘団地内に旧旭ヶ丘営業所が開設され、新荒町、大杉平、旭ヶ丘の3営業所体制となった。1972年に国道45号の新線である八戸バイパスが開通すると、旭ヶ丘営業所がその沿線にある現在の場所に移転し、整備工場が旧旭ヶ丘営業所の跡地に移転した。同時期に新荒町営業所と鮫車庫が廃止された。2012年に大杉平の営業所機能が廃止されてバスセンターとなり、旭ヶ丘のみの1営業所体制となって現在に至っている[1]。
沿革
1932年10月1日 - 八戸市営バス営業を開始。新荒町-鮫町、八戸駅(現:本八戸駅)-鮫町間を運行。車庫を新荒町に設置[2][3][4]。
1933年 - 特定貨物自動車運送事業開始。
1935年 - 新井田まで路線免許認可。種差まで夏季遊覧バスを運行。
1938年 - 木炭バス(代用燃料車)を運用。
1943年9月1日 - 戦時統制による政府の方針に基づき、同年8月29日の市議会可決を以って、市営バス事業を五戸鉄道(後の南部鉄道、南部バスを経て、現:岩手県北自動車南部支社)に統合[5]。
1948年7月 - 五戸鉄道から市内路線の営業権と車両を譲り受け、市営バス事業再発足[5] 。
1949年 - 特定貨物運送事業再開。
1950年 -
ツインバスを運用。
一般貸切旅客自動車運送事業開始。
八戸市交通部新荒町事務所を新築[2]。
1952年
糠塚字下屋敷に整備工場を設置。
(新設)階上線[注釈 1]
1953年 - 公営企業として発足。
1954年 - 貸切車に現在のボディーカラーを採用。以後、新規導入の路線車にも採用される。なお、1980年代以降、貸切車には別のカラー(白を基調として赤、青、水色のラインが入る)が採用される。
1957年 - 鮫車庫を開設(現在の上鮫停留所付近)。
1958年 - (新設)新工場街線・類家線(千葉高校通?東高校前?中類家?帽子屋敷?一中前区間)
1959年4月 - (新設)下長線[注釈 2][2]
1959年9月 - (新設)光星高校線[2]
1959年12月 - 大杉平営業所(現:大杉平バスセンター)開設[2]。
1960年
(新設)尻内線(後の八戸駅線、西売市・内舟渡経由)[注釈 3]・是川線(循環)[注釈 4]
トップドアワンロマ車による学童定期バス(バンビカー)の運転開始
1961年 - (新設)長者中学校線・山手線
1962年 - (新設)石手洗線[注釈 5]・労災病院線
1963年
整備工場を大杉平営業所内に移転。
(新設)旭ヶ丘団地線
1963年4月 - 機構改革により交通部営業課に新荒町・大杉平・旭ヶ丘の3営業所を新設[2]。
1964年 - 旧旭ヶ丘営業所の営業開始(旭ヶ丘団地内)。
1965年 - (新設)北高校線
1966年 - (新設)桜ヶ丘線・美保野線・市川団地線・野場線
1967年
運賃後払い方式を採用
(新設)多賀台団地線・東霊園線・町畑線
1968年 -
ワンマンバスを運行開始。
特定貨物運送事業廃止
(新設)白銀循環線(大杉平営業所?小中野?上柳町?白銀陸橋?白銀?陸奥湊駅前?南横町?大杉平営業所)
1969年 - (新設)種差循環線(大杉平営業所(設置当初は大杉平車庫前)?吹揚?新井田?野場?高森?種差?大須賀?上鮫?白銀?陸奥湊駅前?南横町?大杉平営業所)
1970年 - (新設)白銀台団地線(三日町/旭ヶ丘団地?白銀台団地)[注釈 6]・大橋循環線
1971年 - (廃止)長根線(新坂平?長根?グランド前?市庁前)・蕪島線(浜町?海上保安部前?蕪島)・野場線
1972年 -
路線車の新規購入車両をいすゞBU04に統一(以後、中型路線車は2003年まで、大型路線車は2018年までいすゞ車に統一された)
行先番号を全路線に採用
(新設)柳橋線
1972年5月 - (新設)卸センター線(西売市・内舟渡経由)[2]
1972年7月 - (新設)工業大学線[2]