八幡製鉄所
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八幡製鐵所 世界遺産の旧本事務所 国道199号紫川大橋からみた小倉地区(奥) 日明港より

日本製鉄八幡製鉄所(にっぽんせいてつやはたせいてつしょ)は、福岡県北九州市にある製鉄所(銑鋼一貫製鉄所)である。八幡地区と小倉地区からなる。

八幡地区は、官営製鉄所からの歴史があり、2012年(平成24年)10月1日、新日本製鐵住友金属工業が合併して発足した新日鐵住金(2019年4月より日本製鉄)の製鉄所となった。小倉地区は、1916年に竣工した東京製綱株式会社小倉製鋼所をルーツとし、統合前は新日鐵住金小倉製鉄所であった。2014年(平成26年)4月1日に八幡製鉄所の小倉地区とした[1]

八幡製鉄所のうち、旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場(福岡県北九州市)、遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市)の4資産が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産として世界遺産に登録されている。
目次

1 概要

2 設備と製品

3 沿革

3.1 官営製鐵所時代

3.1.1 歴代製鐵所長官


3.2 日本製鐵時代

3.3 八幡製鐵時代

3.4 新日本製鐵時代

3.5 小倉地区

3.6 新日鐵住金時代

3.7 年表


4 八幡地区遊休地の整備

5 関係会社

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要 東田第一高炉跡。「1901」は操業開始の1901年を表す

八幡地区は、1901年明治34年)の明治時代に操業を開始した官営の製鉄所を前身とする。1887年(明治20年)から操業を続ける釜石鉱山田中製鉄所に続き、日本国内で2番目の製鉄所であった。第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所であった。1934年(昭和9年)には官営製鉄所が中心となって民間業者と合同して日本製鐵(日鉄)が発足。戦後の1950年(昭和25年)に日鉄は解体され八幡製鐵所は八幡製鐵に属すが、1970年(昭和45年)の八幡製鐵と富士製鐵の合併による新日本製鐵(新日鉄)発足に伴い、同社の製鉄所となった。

2012年(平成24年)10月、新日鉄と住友金属工業の合併による新日鐵住金発足に伴い、同社の製鉄所となる。

官営時代から日鉄時代にかけては鋼板類や条鋼類、兵器材料の特殊鋼など多品種の鋼材を製造していたが、八幡製鐵・新日鉄時代に他の製鉄所が強化されていくにつれて生産品種も減少し、現在では表面処理鋼板や電磁鋼板を始めとする薄鋼板と、一部の条鋼・鋼管の製造拠点となっている。 八幡製鉄所洞岡門

小倉地区は、1916年に竣工した東京製綱株式会社小倉製鋼所をルーツとし、統合前は、新日鐵住金小倉製鉄所であった。高炉から棒鋼線材などの圧延鋼材を作る専門の工場である。

2014年(平成26年)4月、新日鐵住金小倉製鉄所を八幡製鉄所に統合、再編成した。さらに2019年4月に日本製鉄商号変更により、日本製鉄八幡製鉄所となった。

粗鋼生産量(2012年)は、八幡製鉄所と小倉製鉄所の統合前の水準で、八幡側が年間355万トン、小倉側が年間124万トンとなっている[2]


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