八幡町_(東京都府中市)
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この項目では、東京都府中市の八幡町について説明しています。その他の八幡町については「八幡町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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八幡町
町丁
八幡宿交差点。鍋屋横丁。
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分12.0秒 東経139度29分1.01秒 / 北緯35.670000度 東経139.4836139度 / 35.670000; 139.4836139
日本
都道府県 東京都
市町村 府中市
人口(2018年(平成30年)1月1日現在)[1]
 ? 合計5,811人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号183-0016[2]
市外局番042 (国分寺MA)[3]
ナンバープレート多摩
※座標は旧甲州街道八幡町交差点付近

八幡町(はちまんちょう)は、東京都府中市にある町名。現行行政地名は八幡町一丁目から八幡町三丁目。郵便番号は183-0016(武蔵府中郵便局管区)[2]八幡宿石碑江戸名勝図会 府中 八幡宮鍋屋横丁石碑武蔵国府八幡宮武蔵国府八幡宮本殿裏手?八幡町地域公園に掛けての発掘調査祭り洋品店八幡道、八幡通り。人見街道」入り口「こととみ道」入口
地理

府中市中心部から東に位置する。NTT武蔵府中局から東府中駅西側にかけて広がる区域。面積347,107平方メートル。西から一丁目・二丁目・三丁目。南から時計回りに日吉町、宮町府中町緑町、清水が丘に隣接する。町内は、小金井街道か東府中駅に近い所と旧甲州街道沿いは企業店舗類が多く、その他は主に住宅地として利用されている。

段丘崖線(はけ)を除きほぼ平坦な土地である。標高55メートル前後の強固な武蔵野台地上に位置しているので、比較的地震洪水災害に強く、「府中市地震ハザードマップ」では「総合危険度」が最も危険度が低いと判断されている[4]。改修された第1都市下水路が三丁目を起点に2km以上あり、大雨に対する対策もこうじられている[5]


天地の坂 - 府中競馬正門前駅から南東に下る坂。ハケの下に水車小屋があり、その周辺が「天神下」であり、米屋の屋号が「天地」であった事から。
[6]

普門寺坂 - 普門寺脇の府中競馬正門前駅から南に下る坂。120mと短く傾斜10%との標識がある急坂。坂西側の「普門寺」が名の由来で、別名は「薬師の坂」「古墳の坂」。[7]

馬坂(うまざか) - 八幡宮と府中競馬正門前駅の間。明治頃から付いている名で、「おん馬屋」を由来としていると考えられる。大正?江戸時代、 お馬預り役の旧家の下氏(下与市)が居住していた[8]

地価

住宅地の地価は、2016年平成28年)に公表された公示地価によれば、東京都府中市八幡町2丁目21番9の地点で43万7000円/m2となっている[9]
歴史

江戸時代、府中市域は1宿1社領12か村であり、社領六所宮(現在の大國魂神社)の耕作民によって八幡宿(村)が形作られた。当時、武蔵国内では最大であった。
地名の由来

町名の由来は一国一社の武蔵国府八幡宮がこの地域に鎮座されているところから「八幡宿村」(清水が丘や緑町も含まれる)。
沿革

大國魂神社は1591年には500石の地を寄贈された大社であり[10]、その多くが八幡宿村(現行の八幡町・緑町・宮町二?三丁目・日吉町の一部)にあたる地域であった。字は、八幡下(やわたとも呼ぶ、国府八幡宮の下の意)、八幡宿南・北、八幡、万蔵庵(古い寺)など。八幡宿は大國魂神社領地であり(寺社奉行管轄)、住民は大國魂神社の氏子・神社の領民であり、また神社の氏子でもあった。八幡宮など一部は栄えていたものの、その他は農業を生業とした村落であった。

1863年品川県であった時代には、八幡宿は府中宿など6ヵ村と共に十番組となり(番組制)、1871年に神奈川県となったときは第十区二番組の4ヵ町(府中宿=本町・番場宿・新宿・八幡宿)となった。

小字

八幡宿

八幡宿北

八幡宿南

八幡

八幡下

万蔵庵

周辺が『江戸名所図会』に描かれている[11]
変遷

1648年頃(慶安) - 甲州街道の開設に伴って、国府八幡宮周辺八幡道(やはたみち)より北の街道沿いへ移動(八幡町一丁目、二丁目の一部)[12]

1871年(明治4年)神奈川県に移管。「八幡宿町」

1872年(明治5年)114戸から成り、25戸は字京所に居住

1880年(明治13年)1月 - 新宿町、本町、番場宿町、八幡宿町、屋敷分村が合併して神奈川県北多摩郡府中駅が成立。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、府中駅が名称をそのままに町制を施行。

1893年(明治26年)6月19日 - 府中駅が府中町に改称。

1893年(明治26年)4月1日 - 東京府へ移管。

1916年(大正4年) 八幡宿人口 男271人、女271人

1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。

1954年(昭和29年)4月1日 - 多磨村西府村と合併し、府中市を新設。同日府中町廃止。

1961年(昭和36年)3月1日発足

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]


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