八岐大蛇
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「ヤマタノオロチ」のその他の用法については「ヤマタノオロチ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年・画)

ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は、日本神話に登場する伝説の生物
概要水木しげるロードに設置された八岐大蛇像、2015年撮影。

八岐大蛇は『日本書紀』での表記。『古事記』では八俣遠呂智と表記している。「高志之八俣遠呂智、年毎に来たり(古事記)」がみえ、古代日本の地方である高志(こし)から来たとされる。

「ヤマタノオロチ」という名称の意味は諸説ある。この名の由来の点はドラえもんの「タイムマシンがなくなった!!」(てんとうむしコミックス22巻収録)[1]でも題材とされている。

本来は山神または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある[2][3][4]。なお本居宣長は『古事記伝』にて、八俣遠呂智は「ノ」を添えず「ヤマタオロチ」と訓むべきだとしている。
記録
古事記石見神楽演目:大蛇(おろち)

高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川[2])の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。

夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう[2]。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた[5][2]

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は神通力で櫛名田比売の形を変えて、歯の多い櫛にして自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒[6])を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ[3]。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照大御神に献上した。これが「草那藝之大刀」[7]天叢雲剣)である[8]

八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛になった櫛名田比売[注 1]と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市[9])の須賀の地[注 2]へ行き、そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 [11][12]」(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)と詠んだ。
日本書紀

素戔嗚尊(すさのお)は天より降って出雲の國の簸(ひ)の川上に到った。その時、川上で泣き声が聞こえた。そこで声の方を尋ねると、老夫婦がきれいな少女を間にして泣いていた。老夫婦は脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)といい、少女は二人の娘で奇稲田姫(くしいなだひめ)といった。

素戔嗚尊は泣いていた理由を尋ねた。老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった。そして残った奇稲田姫ももうじき食べられてしまうので、悲しくて泣いていたのだという。

素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た。老夫婦は喜んでその申し出を承諾した。すると素戔嗚尊は奇稲田姫の体に触れ、たちどころに湯津爪櫛(ゆつつまぐし)の形に変えてしまった。素戔嗚尊は湯津爪櫛になった少女を御髻(みづら)に挿し、脚摩乳と手摩乳に八回醸した酒を作らせ、八面に塀を立て、各々一つずつ樽を置き、酒を盛らして待った。

時が過ぎ八岐大蛇が現れた。頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は赤い鬼灯のようであった。松や柏が背中に生えていて、八つの丘、八つの谷の間に延びていた。大蛇は酒を飲もうとして、頭を各1つの樽に入れて飲み、酔って眠ってしまった。そこで素戔嗚尊は十握剣(とつかのつるぎ)を拔いて、ずたずたに八岐大蛇を斬った。尾を斬った時、の刃が少し欠けた。そこでその尾を割り裂いて見ると、中にひとふりの剣があった。これがいわゆる「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」である[注 3]。素戔嗚尊はこの剣を天神(あまつかみ)に献上する。

そうした後に、湯津爪櫛になった奇稲田姫[注 1]とともに結婚の地を探して、出雲のC地(すが)を訪れ、宮を建てた。そして「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。

第八段一書(二)では、素戔嗚尊は安藝國(あきのくに)の可愛(え)の川上に下り到った。そこに神がいて、名を脚摩手摩(あしなづてなづ・脚摩乳)と言い、その妻の名を稲田宮主簀狭之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ・手摩乳)と言う。


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