八奈見乗児
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やなみ じょうじ
八奈見 乗児
プロフィール
本名白土 繁満
(しらと しげみつ)
[1][2][3]
愛称八奈見ちゃん[4]
性別男性
出生地 中華民国 遼寧省撫順市[5][6]
出身地 日本東京都[7]
生年月日 (1931-08-30) 1931年8月30日
没年月日 (2021-12-03) 2021年12月3日(90歳没)
血液型A型[8][9]
職業声優俳優ナレーター[10]
事務所青二プロダクション(最終所属)[7]
配偶者あり[6]
公式サイト八奈見 乗児|青二プロダクション
公称サイズ([11]時点)[12]
身長 / 体重165 cm / 62 kg
活動
活動期間1960年代 - 2015年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

八奈見 乗児(やなみ じょうじ、1931年昭和6年〉8月30日[6][13] - 2021年令和3年〉12月3日)は、日本声優俳優ナレーター[10]満洲生まれ、福岡県飯塚市福岡市育ち[6]青二プロダクション所属[7]。既婚。
来歴
生い立ち

満洲撫順で生まれ、13歳の頃福岡県に引き上げる[5]。当時は八奈見にとっては、中国こそが生まれ故郷であり、日本は異国でしかなかったことから日本に帰ることを拒んでいた[6]。その時に「一人になっても中国にとどまりたい」と駄駄をこねていたが、そんな願いはかなえられず、引き揚げ船の甲板から、生まれ育った満州に「もう再び、満州に戻って来れる日はないだろう……さようなら、ぼくのふるさと……」と別れを告げたという[6]。父の故郷の福岡県飯塚市で暮らし、福岡県立嘉穂中学校(現:福岡県立嘉穂高等学校・附属中学校)に中学2年の時に編入[6]。長いこと学業から遠ざかっていたため、級友との学力差が激しく、成績は惨たんたるものだった[6]。一時はクラスのドンジリまで落ち、学校に行くのがいやになってしまった[6]。しかし落ちこぼれにはならず、自ら叱咤し、怠惰になりがちな心と戦った[6]。みるみる学力は回復、級友たちをグングン抜いて、わずか半年後にはトップクラスにおどり出て、クラス副委員長に推されるほどになったという[6]。その後、一家は福岡県福岡市に移住し、中学校転校後、小さい頃から運動、野球が好きで野球部に所属していた[6]福岡県立修猷館高等学校卒業後[14][15]、野球が取り持つ縁で、日本通運飯塚支店に入社してノンプロ野球の選手として野球をしていた[6]。将来への不安を感じてジャーナリストになることを決めて入社1年で上京[6]明治大学を受験して合格して進学したが、寂寥感に捉われ、電車の窓から見ていた音楽舞踊学校の看板に心を奪われ、訪ねて入学し、歌、踊りの稽古をしていた[6]。しかし両親達に知らされて叱責されたうえ、連れ戻されてしまう[6]。その後の博多での生活は、人生でドン底時代であり、生きる目標がなく、毎日がウッウッとして、何をしても楽しくなかった[6]日本軍の占領下の中国人がよく口にしていた「没法子(もうだめだ)」の心境だったという[6]
キャリア

その後、声優を目指して九州RKB毎日放送劇団に所属[5][6]。九州時代の後輩に内海賢二がいる[16]。しかし「東京でなければ芝居はできない」と思い東京都へ移住[5]。その後、エイトプロダクション[6]俳協を経て青二プロダクションに所属する[5]

2001年からは『中居正広の金曜日のスマたちへ』のナレーションを務める。

2003年には声優歴40年を迎えた。

2005年には愛・地球博マスコットキャラクター「モリゾー」の声を担当した。2007年11月からキッズステーションで放映された『エレキング the Animation』では主人公のおいさん役を務めた。

2009年3月20日、赤塚不二夫藤子不二雄Aらとともに東京アニメアワード第5回功労賞を受賞している。
休業・死去

2015年9月25日、療養のため、休業を発表[17]。その後、2019年に戸田恵子は自身のブログで八奈見について、健康状態は良好であると共に仕事に関しては勇退していたことを明かしている[18]。休業以降も『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に関しては飯島愛に関するVTRで例外的にナレーションを継続していた[19]2021年5月7日放送の同番組で青二プロダクション所属の声優が特集された際、出演は無かったものの、顔写真のパネルがスタジオに設置されると共に「金スマナレーター 今回は欠席」とのテロップが表示された。

2021年12月3日22時59分、死去[20][21]。90歳没。訃報は同月14日、青二プロダクションの公式サイトで発表された[22]
人物

声種は「渋く朴訥としたバリトン[23]。テレビ創生期から活動している。ユーモラスな演技は「八奈見節」と呼ばれ、独特の台詞回しで知られている(『巨人の星』の伴宙太、『タイムボカン』のグロッキーや『ヤッターマン』のボヤッキーなどに代表される「タイムボカンシリーズ」における三悪の発明家の男などが代表的)[24]。『ドラゴンボール』シリーズではナレーションと北の界王役を長年担当した[25]。博士から敵の大王まで、デブからヤセまで、シリアスからギャグまで演じていたキャラクターは多彩だった[9]。強いて言えば、ヤセたギャグ老人役で知られていた[9]

父は南満洲鉄道の職員、母は助産婦[6]。中学生になった頃、太平洋戦争は終局を迎えていたが、旅行好きでヒマを見ては、父が鉄道職員という関係もあったが、「やがて汽車旅行もできなくなる日もくるのではないか」といやな予感がしたことから旅に出かけていた[6]。その後、1945年8月、ソ連軍が国境を越え、押し寄せてきたという[6]。妻は同業者の女性[6]。上京後は新婚でアパートに住んでおり、当時、住むところがなかった内海賢二がアパートに転がり込んでいた[16]。また生前の内海は八奈見、柴田秀勝から受けた感謝を忘れなかったという[16]
エピソード
アドリブ

アドリブを考える際にはテスト、ラストテスト、本番で変えて出すほうであり、相手の台詞や突込みで変えて出しているという[5]

「タイムボカンシリーズ」では「ポチッとな」「ハァ?イ、全国の女子高校生のみなしゃ?ん」「今週の山場?っ」「来週から『タイムガイコッツ』が始まるよ?っ」「イケズ?」などの台詞を数多く残したが、これらは、ほとんどがアドリブだった。スタッフも心得ていて、シリーズ中盤から後期になると八奈見の台詞部分の尺にわざと余裕を持たせてアドリブを入れやすいようにしていた[注 1]。ほかの番組でこれらの「タイムボカンシリーズ」からの引用がパロディとして登場することもある。田中真弓は八奈見がこれまで演じた役柄に関して、「八奈見さん以外に代わりの人はいない」とも評している[24]

森久保祥太郎は声優として駆け出しのころ、八奈見と共演したとき、「何十歳も年上なのに凄く楽しそうにする」「この仕事は本当に奥が深いんだな」と思ったと語る[26]
役柄など

『巨人の星』の伴宙太のオファーが来た際、外国映画で老け役を演じることが多かったため、「10代の役はできない」と一度断ったが、「そのままでやってください」と受けることになったという[5]。その後が大変で、高校生らしく、若々しく演じることが苦しみの連続であり、八奈見にとって、終生忘れられなかった作品となってしまったという[6]

インタビューにおいて「『マジンガー』の弓博士は知的キャラクターだった為か収録に苦労した」と語っていた。

タイムボカンシリーズ』にて「自分は3枚目になってしまった」とも語っている[5]

リリー・フランキー原作のアニメ『おでんくん』でだいこん先生役を放送開始の2005年から2009年の最終回まで演じたが、2013年の新作『がんばれ!おでんくん』では八奈見ではなくふくまつ進紗がだいこん先生を演じている。

ドラゴンボール』シリーズのナレーション、北の界王役は演出家からの指名で決まった。ナレーションは最初はモノローグ調だったが普通のナレーションの方が面白いと考え声の調子を押さえ気味にしていった。北の界王役は当初は変人と解釈して演じていたが、途中からシリアスな面も見せ始め双方をいかに演じ分けるか考えたという。また、そんな彼を愛らしく楽しく演じられたという[25]

この他バビディ役やブリーフ博士役なども担当しているが、バビディは嫌いなタイプのキャラクターだったと公言している[27]


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