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八代港
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所在地
国 日本
所在地熊本県八代市
詳細
管理者熊本県
種類重要港湾
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八代港(やつしろこう)は、熊本県八代市にある港湾である。港湾管理者は熊本県。重要港湾に指定されている。かつては天草までの旅客フェリーの発着もあった。 八代港は球磨川の河口港として、また広大な穀倉地帯である八代平野を控え、古くから米・木材・海産物等の流通拠点として熊本県南の拠点たる八代地域の発達に貢献してきた。明治時代に蛇籠港に?1.5m物揚場が整備されて以来、近代港湾としての開発・整備が始まる。 航路と外港の一部岸壁を-14.0mにする計画が進行中(6?8,000TEU級)。ただしパナマ運河改修後の-16.0m?-17.0m(10,000?16,000TEU)への対応計画は今のところ無い。 かつて当港は、近隣の三角港、佐敷港、水俣港と並んで天草市内への航路の主要拠点の一つであり、戦前から海上輸送が盛んで大勢の観光客や地元住民の通勤、通学などの輸送のために八代港から天草市や上天草市方面(本渡港・姫戸港・倉岳棚底港・松島港・御所浦港など)へのフェリーが数多く運行されていた。 戦後は1965年に設立された松島フェリー株式会社(本社:八代市)を中心に、1984年設立の有限会社木本観光(本社:上天草市)、1986年設立の天草観光汽船株式会社(本社:天草市)、1992年設立の天草フェリーライン有限会社(本社:上天草市)などが大型・中型フェリーを就航させ、個人経営の中小海運企業もこぞって観光船事業に参入した。 1970年代から90年代にかけてはフェリー乗り場は休日や連休を中心に八代駅を経由した大勢のフェリー利用客で賑わい、産交バスによる八代駅 - 八代港連絡バスの臨時ノンストップ便やフェリーの臨時便も多数運行されていた。 しかし、有料道路であった三角から天草方面への天草パールライン(天草五橋)が1975年より無料開放され、1993年に熊本港が開港し1997年より熊本港 - 本渡港間に高速旅客船「マリンビュー」(2009年3月31日運行休止)が就航、さらに天草市内に2000年に天草飛行場が開港して天草エアラインが就航し、天草への交通アクセスが格段に向上したこと、天草市内や上天草市内で学校や病院などの公共施設の設置が充実してきたことなどから、1996年に年間7万人を輸送したのを最高に年々利用客が減少していき、資本力の弱い個人経営の観光船は2000年までに次々と運航を休止または廃止していった。また、1996年8月10日には天草観光汽船の観光船「ブルーライナー」が操縦士の操作ミスによって大道港の防波堤に衝突する事故を起こし負傷者を出したことも旅客減少につながった。 各フェリー会社は防衛策を講じた。松島フェリーは1999年に愛媛汽船(現在は芸予汽船)より1979年製の大三島ブルーライン用大型フェリー「きのえ丸」を転籍譲渡の上「フェリーまつしま」に改称して導入。天草フェリーラインは2001年6月に設立当時より愛媛汽船から転籍導入していた「フェリーくまがわ」に代わる新型フェリー「シーガル」を、天草観光汽船や木本観光も1986年8月就航の大型観光船「ブルーライナー」に続く「ブルーライナー2」や「龍丸」「八りゅう丸」をそれぞれ導入して、輸送力の強化とサービス向上に努めた。 2003年から神園交通による「すーぱーばんぺいゆ」、翌2004年には産交バスによる「エアラインやつしろ号」の2つのバス路線が八代港から九州自動車道経由で阿蘇くまもと空港までの運行を開始し、空港からの陸路アクセスが向上した。しかし、「エアラインやつしろ号」は利用率が予想以上に大きく低迷してしまい運行開始からわずか5ヶ月で早々に廃止され、「すーぱーばんぺいゆ」も八代港まで利用する乗客はほとんどいなかった。加えて、2004年3月の九州新幹線開業で八代駅発着の優等観光列車が大きく削減されたために八代駅からの利用客も大きく減少し、さらに同時期の原油価格高騰も大きな打撃となり、フェリーの維持費用が運航会社にとって大きな負担となっていった。 天草観光汽船は経営悪化を理由に2006年限りで運航を休止し、そのまま2011年の廃止まで運航を再開しなかった。天草フェリーラインも2007年11月1日より期限付きで一旦運航を休止(その後2009年4月1日より全便の運航を再開)した。 2009年4月1日には天草宝島ラインが三角港 - 松島合津港 - 本渡港間の観光船「シークルーズ」の運航を開始したために、八代港からの観光需要が薄くなった。 2010年初頭に乗降客数悪化、運行区間の合理化、八代市からの運行補助金の減額を理由に、産交バスが八代港行を含む八代駅発着のバス本数の大幅削減を表明した。利用率が大幅に低迷していた八代駅 - 八代港間直通バスの運行廃止と連絡運輸打ち切り方針も打ち出され、フェリー会社が八代市を交えて産交バスと連絡バスの存続や対策を協議したが打開策が生まれず、結局同年10月1日のダイヤ改正で八代駅 - 八代港直通路線である八代港線・旧産島線・旧君ヶ淵線19往復全てのバスが廃止された。かろうじて産島線は存続したものの、バスの起点が八代駅から八代市役所に変更され、運行本数も7往復に削減された。直通路線バス廃止後に唯一八代駅からの定期直通バスとなった「すーぱーばんぺいゆ」も2011年3月12日の九州新幹線開業までは八代市内間での乗降ができなかった。
歴史
1922年(大正11年) - 内務省指定港湾。同年十条製紙(現日本製紙)が進出
1959年(昭和34年) - 重要港湾指定
1964年(昭和39年) - 大島南地区が有明・不知火地区新産業都市に指定。
1965年(昭和40年) - 外港地区岸壁(-9m・-7.5m)各1バース完成
1966年(昭和41年) - 貿易港の指定(関税法)
1967年(昭和42年) - 植物防疫法による木材指定港の指定
1973年(昭和48年) - 外港地区岸壁(-10m)第1バース完成
1982年(昭和57年) - 港湾計画改定(外港地区岸壁-12m、2バース計画)
1992年(平成4年) - 外港地区沿岸完成(-12m)第1バース完成
1994年(平成6年) - 外国産食料輸入港の指定
1995年(平成7年) - 港湾計画改定(大島地区岸壁-14m、航路-14m他)
1997年(平成9年) - 外港地区岸壁完成(-12m)第2バース完成
1999年(平成11年) - コンテナターミナル供用開始
2013年(平成25年) - 旅客フェリー運航休止、同時にフェリー乗り場も閉鎖
2017年(平成29年)7月26日 - 国際旅客船拠点形成港湾に指定(港湾法第2条の3)[1][2]
主な港湾施設
-12.0m岸壁=2バース(30,000t級)
-10.0m岸壁=4バース(12,000t級)
-9.0m岸壁=1バース(8,000t級)
-7.5m岸壁=4バース(5,000t級)
-5.5m岸壁=8バース(2,000t級)
-4.5m岸壁=9バース(700t級)
フェリー施設=-4.5m 岸壁=1バース、可動橋=1基、旅客待合所=1棟
野積場・荷捌地= 626,931m2
公共上屋=6棟、11,541m2(くん蒸800m2を含む)
コンテナ施設 ガントリークレーン、ストラドルキャリア
航路
国際コンテナ
八代?釜山航路(1便/週)
八代?釜山?香港航路(1便/週)
高麗海運(代理店:日本通運)
興亜海運(代理店:八代港運)
長錦商船(代理店:松木運輸)
廃止、休止された航路
フェリー