八丁堀停留場
本線下り西広島方面ホーム
はっちょうぼり
Hatchobori
八丁堀停留場(はっちょうぼりていりゅうじょう、八丁堀電停)は、広島県広島市中区八丁堀および鉄砲町にある広島電鉄本線・白島線の路面電車停留場。両路線の乗換え停留場である。駅番号は本線がM7、白島線がW1。 八丁堀停留場に乗り入れる2つの路線、本線と白島線は1912年(大正元年)11月に同時に開通し[2]、当停留場もこれと同時に開設されている[3]。「八丁堀」の名からも窺えるように、路線は広島城の外堀を埋め立てて造られた道路上に敷かれ、白島線の線路は現在より西側の道路上に敷かれていた[4]。 1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により広島電鉄の市内線は被害を受けるが、本線は己斐方面から順次復旧し、同年9月には当停留場から紙屋町方面が、10月には広島駅方面も運行を再開した[2]。一方の白島線は戦後に新しく建設された白島通りへと路線が移設され、1952年(昭和27年)に運行を再開している[4]。当停留場の白島線ホームもこのとき100メートル東へ移設され、それまでの線路は廃止された[3][4]。 広島電鉄の市内線はほぼ全区間で道路上に軌道が敷設された併用軌道で、当停留場も相生通りと白島通りが交差する八丁堀交差点の上に軌道が敷かれている。本線は東西方向に2本の線路が伸び、ホームはそれを挟みこむように2面置かれている[9]。ただし互いのホームは交差点を挟んで斜向かいに位置していて、交差点の東に広電西広島駅方面の下りホーム、西に広島駅方面の上りホームがある[9][10]。 いっぽう白島線の軌道は本線の両ホームの間から分岐し、2本の線路が北方向へ通じる[9]。白島線の線路は西方向に伸びる本線下り側の線路とつながっている[9]。ホームは交差点の北、上り線側に1面のみで、片面のみが線路に接するように配されている[9][10](単式ホーム)。乗り場の北側には渡り線があり[9]、折り返しの営業列車は上りホームに到着後そのまま折り返し、渡り線を通って白島方面へ向かう。 1977年(昭和52年)には電車の接近を知らせる表示器が、1988年(昭和63年)には上屋が備え付けられている[11]。このうち接近表示器は2008年(平成20年)2月に改良が加えられ、到着までの時間や車両の種類も表示されるようになった[12]。駅員は配置されていない無人駅であるが、フラワーフェスティバルやとうかさんの開催時には出札要員が配置され[9]、可搬式運賃箱を用いた運賃収受を行う。 当停留場には広島電鉄が運行する系統のうち1号線、2号線、6号線、9号線、それに0号線が乗り入れる。当停留場を経由して本線と白島線を結ぶのは9号線で、それ以外の系統は本線の乗り場のみを使用する。 9号線は従来白島停留場と当停留場を結ぶ便のみだったが、2013年のダイヤ改正により、一部の便が当停留場から本線に直通することとなり、江波線の終点である江波停留場まで運行が延長された[13]。この直通運転の際には、白島行きが本線広島駅方面行きホームに、江波行きが白島線ホームに停車する運用となっている[13]。
歴史
年表
1912年(大正元年)11月23日 - 本線および白島線開業に伴い設置[3][5]。
1946年。後ろは福屋旧館。
1945年(昭和20年)
8月6日 - 原爆投下により休止[3]。
9月7日 - 本線の紙屋町 - 当停留場間が運転再開[3]。
10月1日 - 本線の当停留場 - 山口町間が運転再開[3]。
1952年(昭和27年)6月10日 - 白島通りの完成により、白島線が営業再開[6]。路線が移設され、当停留場の白島線ホームも現在地に移設[3][6]。
2013年(平成25年)2月15日 - 9号線の運行が当停留場から江波まで延長[7][8]。
構造本線上り広島駅方面ホーム白島線ホーム白島線に到着した車両と石畳の様子
運行系統「広島電鉄#運行系統」も参照