八つ墓村
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八つ墓村
著者横溝正史
発行日1971年4月26日
ジャンル小説
日本
言語日本語
ページ数494
コードISBN 4041304016
ISBN 978-4041304013(文庫本)

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『八つ墓村』(やつはかむら)は、横溝正史の長編推理小説、および作品中に登場する架空の村。「金田一耕助シリーズ」の一つ。1971年角川文庫の横溝正史本として、最初に刊行される。

本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが7作品、漫画が5作品、舞台が2作品ある(2020年6月現在)。10度の映像化は横溝作品の中で『犬神家の一族』に次いで多い。

1977年の映画化の際、キャッチコピーとしてテレビCMなどで頻繁に流された「祟りじゃーっ! 八つ墓の祟りじゃーっ!」という登場人物のセリフは流行語にもなった。
概要と解説

本陣殺人事件』(1946年)、『獄門島』(1947年)、『夜歩く』(1948年)に続く「金田一耕助シリーズ」長編第4作(ただし、作者は連載直前の予告で第3作と案内している[注 1])。

作者は、戦時下に疎開した両親の出身地である岡山県での風土体験を元に、同県を舞台にしたいくつかの作品を発表している。本作は『獄門島』や『本陣殺人事件』と並び称される「岡山もの」の代表作である。山村の因習や祟りなどの要素を含んだスタイルは、後世のミステリー作品に多大な影響を与えた。満奇洞の地底湖
岡山県新見市豊永赤馬)
満奇洞は、1977年の映画『八つ墓村』等、『八つ墓村』の映像作品のロケ地として使われている。

作者は、農村を舞台にして、そこで起こるいろいろな葛藤を織り込みながらできるだけ多くの殺人が起きる作品を書きたいと思っていたところ、坂口安吾の『不連続殺人事件』を読み、同作がアガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』の複数化であること、そしてこの方法なら一貫した動機で多数の殺人が容易にできることに気がつき、急いで本作の構想を練り始めた。そこで『獄門島』の風物を教示してもらった加藤一(ひとし)に作品の舞台に適当な村として伯備線新見駅の近くの村を教えてもらったところ、そこに鍾乳洞があると聞き、以前に外国作品の『鍾乳洞殺人事件』[注 2]を読んだことがあることから俄然興味が盛り上がった。作品の書き出しに当たって、衝撃的な過去の事件「村人32人殺し」である1938年昭和13年)に岡山県で実際に起こった「津山事件」(津山三十人殺し)が初めて脳裏に閃いた。本格探偵小説の骨格は崩したくはなかったが、当時の『新青年』は純粋の探偵雑誌というよりも大衆娯楽雑誌の傾向が強かったことから、スケールの大きな伝奇小説を書いてみようと思い立ち、この事件がかっこうの書き出しになると気がついた。ただし、作品の舞台はわざと事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた[2]。また、本作の発端である32人殺しの際の田治見要蔵のいでたちは、岡山市のデパートで催された「防犯展覧会」に出ていた津山事件の犯人の事件当夜のいでたちの想像図を借用に及んだものである、と述べている[3]濃茶の祠賽銭
岡山県倉敷市真備町岡田)
道路の奥の黄色い看板があるところが横溝正史疎開宅

こうして小説『八つ墓村』は、1949年3月から1950年3月までの1年間、雑誌『新青年』で連載された。物語は、冒頭部分を作者が自述、それ以降を主人公の回想手記の形式で進行する。戦後の『新青年』は、新興ミステリー雑誌に押されるかたちで精彩を欠き、大衆娯楽雑誌として細々と刊行されている状態だった。本作品が久々のミステリー小説の連載であり、連載が始まった同じ号には、江戸川乱歩のエッセーが掲載された。連載は予定通り進まず、作者の病気で休載中、同誌が休刊となった。その後、1950年11月から1951年1月まで雑誌『宝石』で『八つ墓村 続編』として連載された。『宝石』連載再開にあたっては、編集部より「『新青年』の休刊のため中断していたが、多くのファンの要望に応えて本誌で完結させることになった」という趣旨の挨拶が掲載され、これまでのストーリーの要約も掲載されるなど、初めて読む読者に配慮がなされている。そのような経緯があり、作者は完結編の終わりの10枚を書くときは、うれしくて感動して手が震えたと述べている[4]

なお、濃茶の尼のネーミングは、作者の疎開宅の目の前に今も残されている「濃茶の祠」が元である[5]
物語

前作『夜歩く』の一人語りと同様に、冒頭の過去談を除いては、主人公・寺田辰弥の一人語りの形式をとる。物語は全て彼の口から語られ、彼の体験の順に並ぶ。そのため、金田一による捜査や推理、それに説明は時系列上は遅れて出るところが多い。
あらすじ

戦国時代の1566年永禄9年)、とある山中の寒村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに逃げ延びてくるが、村人たちは毛利氏による捜索が厳しくなるにつれ災いの種になることを恐れ、また財宝と褒賞に目がくらみ、武者たちを皆殺しにしてしまう。武者大将は死に際に「七生までこの村に祟ってみせる」と呪詛の言葉を残す。その後、村人が次々に変死しついには名主が狂死するに至って祟りを恐れた村人たちは犬猫の死骸同然に埋めてあった武者たちの遺体を手厚く葬るとともに、村の守り神とした。これが「八つ墓明神」となり、いつの頃からか村は「八つ墓村[注 3]」と呼ばれるようになった。

大正時代、落武者たちを皆殺しにした際の首謀者・田治見庄左衛門の子孫で田治見家の当主・要蔵は、粗暴かつ残虐性を持った男で、妻子がありながら井川鶴子を暴力をもって犯し、自宅の土蔵に閉じ込めて情欲の限りをつくした。そのうち鶴子は1922年(大正11年)の9月6日に辰弥という男児を出産したが、鶴子には昔から深く言い交した亀井陽一という男がおり、要蔵の目を盗んで逢引きをしていた。辰弥誕生から半年ほどして「辰也は要蔵の子ではなく亀井の子なのだ」という噂を耳にした要蔵は烈火のごとく怒り、鶴子を虐待するとともに辰弥にも体のあちこちに焼け火箸を押し当てたりするなど暴虐の限りをつくした。身の危険を感じた鶴子は、辰弥を連れて姫路市にある親戚の家に身を寄せ、いくら待っても帰ってこない鶴子についに狂気を爆発させた要蔵は、異様な姿で手にした日本刀猟銃で計32人もの村人たちを次々と殺戮し、山へ消えた。時に1923年(大正12年)[注 4]のことであった。

その後神戸で結婚して寺田姓となった鶴子の息子・辰弥は、商業学校を出た年に養父と喧嘩して出奔後友人の下に住んで商事会社に勤め、21歳の時に兵隊にとられて南方に行っていたが終戦後の翌年復員すると、神戸一帯が空襲で焼かれて養父は造船所で死亡、養父の再婚相手とその子供たちなどもどこに行ったか不明という天涯孤独の身となっていた。それから2年近く過ぎた1948年(昭和23年)[注 4]のある日、ラジオで彼の行方を探していた諏訪法律事務所を訪ねると、辰弥の身寄りが彼を探しているという。数日後、辰弥の元に「八つ墓村へ帰ってきてはならぬ。おまえが村へ帰ってきたら、26年前の大惨事がふたたび繰り返され八つ墓村は血の海と化すであろう。」との匿名の手紙が届く。その後、法律事務所で彼の身寄りである田治見家の使者で、母方の祖父・井川丑松に引き合わされるが、丑松はその場で血を吐いて死に、何者かが彼のぜんそく薬のカプセルに毒を混入したことが判明する。その後、辰弥の大伯母から依頼を受けた森美也子が辰弥を迎えに現れる。

田治見家には辰弥の異母兄姉にあたる久弥と春代がいるが2人とも病弱であること、里村慎太郎とその妹・典子といういとこがおり久弥と春代が死ねば慎太郎が田治見家を継ぐこと、辰弥の大伯母で双児の小竹と小梅は辰弥が跡取りとなることを望んでいること、美也子は田治見家と並ぶ分限者(=資産家)である野村家の当主・壮吉の義妹で未亡人であることなどの予備知識を携えて辰弥が八つ墓村入りすると、「濃茶の尼」と呼ばれる少し気の狂った尼から「八つ墓明神はお怒りじゃ。おまえが来ると村はまた血で汚れるぞ。いまに8人の死人が出るのじゃ。」と罵声を浴びせられる。その翌日、辰弥と対面中の久弥が悶絶死し、辰弥は毒殺を疑うが、医者の久野は病死で片づけてしまう。丑松と久弥の葬儀後、辰弥は野村家に逗留中の金田一耕助から、怪しいと思うことがあったら率直にそれを披露するよう忠告される。3日後、久弥の死体が解剖された結果、久弥の死は丑松と同じ毒によるものであることが判明する。

さらに久弥の初七日法要の席で蓮光寺の洪禅が毒殺され、辰弥は麻呂尾寺の英泉から「貴様が毒を盛ったのだ。貴様は自分のじじいを殺し、それから兄を殺し、今度はおれを殺そうとして、間違って洪禅君を殺したのだ!」と糾弾される。法要の前に慶勝院の尼・梅幸から「私と麻呂尾寺の住持が知っている大変大事なお話があります」と言われていたことから、翌日、慶勝院を訪問すると梅幸尼が毒殺されていた。


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