全身麻酔の歴史
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全身麻酔の歴史(ぜんしんますいのれきし)では、世界の歴史において全身麻酔に関わる事物がどのような発展を遂げてきたかについて概説する。
概要1846年10月16日、ボストンマサチューセッツ総合病院のエーテルドーム(英語版)で行われた、ウィリアム・T・G・モートンによる全身麻酔の最初の公開デモンストレーションの再現。外科医ジョン・ウォーレン(英語版)とヘンリー・ビゲロー(英語版)も、サウスワース&ホーズ(英語版)によるこのダゲレオタイプに写されている。マサチューセッツ総合病院のブルフィンチビル(英語版) にエーテルドーム(英語版)はある。

歴史時代を通じて、全身麻酔状態を作り出す試みは、古代のシュメール人バビロニア人アッシリア人エジプト人インド人中国人の著作にまで遡ることができる。現代でも鎮痛薬として用いられているモルヒネは、ケシの抽出物であるアヘンに由来する。ケシに関しては、古代人の著作の随所にその記述を見ることができる。また、エタノールもその鎮静作用が数千年前から古代メソポタミアで知られていた[1]。他に薬草として、マンドラゴラドクニンジンヒヨスなども用いられたが毒性が高かった。これらで達成されるのはせいぜい、酩酊ないしは朦朧状態であった。麻酔作用、すなわち意識のない間に手術を完遂する薬物としての効果は不確実で、実質的な全身麻酔の発見は19世紀まで待たねばならなかった。ルネサンス期には解剖学手術手技が大きく進歩したにもかかわらず、手術は、それに伴う痛みのため、最後の手段の治療法のままであった。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}...外傷治療を含めた多くの手術などは殆ど無麻酔下に行われていた。このことによっても往事の手術室は正に阿鼻叫喚地獄の惨状を呈していたことが知られよう。ひたすら手術のスピードが要求されていたのである。例えば19世紀中頃、一側の下腿切断術に20秒を要したという記録がある。—松木明知、1. 欧米における麻酔科学外観、“日本における江戸時代以前の麻酔科学史”. 麻酔 53(増刊号): 2. (2004). 

しかし、18世紀後半から19世紀初頭にかけての科学的発見(特に気体)により、近代的な麻酔技術の開発への道が開かれた。

1845年、歯科医ホーレス・ウェルズ亜酸化窒素(通称笑気)による全身麻酔下抜歯の公開実験を行ったが、患者が泣き叫んだため失敗に終わった[2]。しかし、亜酸化窒素は今日でも麻酔薬として用いられている。翌1846年、ウィリアム・T・G・モートンジエチルエーテル(通称エーテル)による全身麻酔下手術を公開下で成功させた[3]。実のところ、モートンの前にもエーテル麻酔に成功した者は何人もおり、彼らの間で先取権争いがおこったが、最終的には「発明者とは、思いついた人ではなく、世界に周知させた人」であるとして、モートンの名が歴史に刻まれた[4]。1847年にはクロロホルムが、スコットランドの産科医、ジェームス・シンプソンによって全身麻酔薬として実用化された。1853年には、ロンドンの医師ジョン・スノウビクトリア女王の出産にクロロホルムを用い、これをきっかけに麻酔の出産への適用、すなわち無痛分娩が普及していった。しかし、エーテルには引火で爆発するリスク、クロロホルムは不整脈から死亡する[5]リスクがあった。これらは1950年代以降、引火性がなく、毒性も低い新たな吸入麻酔薬であるハロタンイソフルランセボフルランなどに改良されていった。

全身麻酔薬投与経路は長年、経口投与のみであったが、この方法では確実な麻酔状態をヒトで確立できず、亜酸化窒素ジエチルエーテルなどの吸入麻酔薬の実用化以降は投与経路は吸入に移行した。20世紀に入ると静脈注射の手技と器材が確立され、静脈注射による麻酔も可能となった。東洋では、紀元2世紀の中国の外科医、華佗や、モートンのエーテル麻酔よりも40年以上前の1804年に初の全身麻酔の実証的記録を遺した日本の華岡青洲は麻酔薬を経口で投与した[6][7]。現代麻酔においては、麻酔薬の投与経路は吸入や静脈注射が主流となっている[8]。華佗の処方は華佗の代で失われ、華岡青洲の処方も秘伝とされ、現在、残っていない。「静脈注射#歴史」、「華佗」、および「華岡青洲」も参照パルスオキシメータ

全身麻酔は、3つの要素、すなわち意識消失鎮痛筋弛緩から成る[9][10][11]が、エーテルなどの吸入麻酔薬は鎮痛、筋弛緩作用が弱く、高度な手術を行うには不充分なものだった[12]。そこで、20世紀半ば以降、鎮痛作用に特化した麻薬系鎮痛薬であるフェンタニルなどの合成オピオイド、筋弛緩作用に特化したツボクラリンなどの神経筋遮断薬が開発され、これらを併用することにより、安定した麻酔が提供されるようになった。1934年に開発されていた静脈麻酔薬チオペンタールは、ほぼ意識消失作用しかもたなかったが、その即効性、使いやすさから、麻酔に革命を起こしたとすら称された[13]麻酔の3要素、それぞれに特化した薬剤が出揃ったのである。反面、筋弛緩薬を併用した深い麻酔では、呼吸停止が起こるため、気管気管チューブなどを留置して(気道確保)、人工呼吸を行うことが必須となった。しかし、呼吸状態の激変による低酸素血症の脅威が全身麻酔の大きな問題であり続けた。1974年、日本人技術者の青柳卓男が採血をしなくてもリアルタイムで動脈血中ヘモグロビンの酸素結合率を測定できる機器、パルスオキシメータを開発した[14]。これにより、麻酔中の低酸素血症の早期発見が容易となり、全身麻酔による死亡率はそれまでの1万分の1から100万分の1にまで激減した[15]。21世紀に入ってからは、それまで気管挿管に用いられていた器具(喉頭鏡)が、改良されて液晶モニターつきのビデオ喉頭鏡となり、気道確保時の安全性はさらに向上した。
麻酔の語源
麻酔

日本語の「麻酔」は、英語の "anesthesia" やドイツ語の "Anasthesie" に対する訳語である。初出は杉田成卿『済生備考』(1850年)とされる[16]。これは、全身麻酔の先駆者である、華岡青洲の没後であり、青洲は自らの著述で「麻酔」という言葉を使っていない[16]。中国語でも同様に「麻醉」と記載される[17]が、日本での初出より前には用例が確認されておらず、「麻酔」が中国で日本より先に造語された可能性は低いとされる[16]


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