全豪オープン
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全豪オープン
公式サイト

開催国 オーストラリア
メルボルン
開催会場メルボルン・パーク
サーフェス芝 (1905?87)
ハード (1988?現在)[注 1]
男子ドロー128S / 128Q / 64D
女子ドロー128S / 96Q / 64D
賞金総額A$71,000,000 (2020)[1]
グランドスラム大会


全豪オープン

全仏オープン

ウィンブルドン選手権

全米オープン

センターコートの「ロッド・レーバー・アリーナ」

全豪オープン(ぜんごうオープン、: Australian Open)は、毎年1月後半にオーストラリアメルボルンで開催されるテニスグランドスラム大会(4大大会)の一つである。主催および運営はテニス・オーストラリアが行う。
概要

会場のメルボルン・パークには開閉式の屋根付き競技場であるロッド・レーバー・アリーナを中心に、マーガレット・コート・アリーナを含む@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}26面[要出典]ものコートが整備されている。2000年にはサブアリーナとしてボーダフォン・アリーナ(現在のジョン・ケイン・アリーナ)が建設され、2015年にはマーガレット・コート・アリーナに開閉式屋根を設置する改修工事が完了し、3つの開閉式の屋根付きスタジアムを設けることになった。会場に開閉式の屋根を設置した大会は全豪オープンが最初である[要出典]。

男子シングルス部門の優勝者にはノーマン・ブルックス・チャレンジ・カップが、女子シングルス部門の優勝者にはダフネ・アクハースト・メモリアル・カップが贈られる。

全豪オープンは、開催時期の変更も多い大会である。クーヨン・テニスクラブで開かれていた時代、1976年までは現在のような1月開催であったが、1977年には1月と12月の2回開催された。その後、1978年から1985年までは12月の年末に開催されていた。1987年から1月開催に戻り、1988年には会場がメルボルン・パークに移転して、現在に至っている。会場移転の決定による開催時期の変更により(1985年12月 → 1987年1月)、「1986年全豪オープン」は開催されなかった。マーガレット・コート・アリーナ
歴史1932年に出場した日本選手。中央左より佐藤次郎原田武一布井良助。佐藤は男子シングルスで準決勝進出、混合ダブルスで準優勝した

1905年 - オーストラリアとニュージーランドの共同大会である「オーストラレージアン・テニス選手権」(Australasian Tennis Championship)として創設。男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まった。第1回の男子シングルスはロドニー・ヒース1884年 - 1936年)が優勝。

1916年 - 1918年 - 第一次世界大戦のため、3年間大会開催中止。

1922年 - 女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門を創設。第1回の女子シングルスはマーガレット・モールズワース1894年 - 1985年)が優勝。

1927年 - 大会名を「オーストラリア選手権」と改称。

1940年 - この年は1月に大会が行われたが、第二次世界大戦のため1941年-1945年まで開催中止。

1969年 - オープン化され、「全豪オープン」となる。開催都市は持ち回りで行われた。


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