全権委任法
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民族および国家の危難を除去するための法律(正式名称)
Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich
全権委任法(通称)

引証RGBl. I S. 141
制定者国会
上院
署名日1933年3月23日
署名者パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領
アドルフ・ヒトラー首相、副署)
ヴィルヘルム・フリック(内務大臣、副署)
コンスタンティン・フォン・ノイラート(外務大臣、副署)
ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク(財務大臣、副署)
施行日1933年3月23日
廃止日1945年9月20日
提出者ヒトラー内閣
現況:廃止
1933年3月23日、議場で全権委任法への賛成を要求するアドルフ・ヒトラー

全権委任法(ぜんけんいにんほう、正式名称:: Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)、日本語訳では民族および国家の危難を除去するための法律(みんぞくおよびこっかのきなんをじょきょするためのほうりつ)、または、国民および国家の苦境除去のための法[1](こくみんおよびこっかのくきょうじょきょのためのほう)は、ヴァイマル共和政下のドイツ国において1933年3月23日に制定された法律。

国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による事実上の一党独裁制の確立へと進む中、アドルフ・ヒトラー首相が率いる政府に、ヴァイマル憲法に拘束されない無制限の立法権を授権した[2]。この法律は立法府行政府に立法権を含む一定の権利を認める授権法の一種であり、単に「授権法」と呼ぶこともある[3][4][* 1]
経緯.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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前史

ドイツにおいて政府に対して広範な権限を付与する授権法は、帝政下の1914年の第一次世界大戦勃発にあたって制定されたものが始まりである。1918年の敗戦後の帝政崩壊を経たヴァイマル共和政期でも不安定な政情に対応するために1923年に二度制定されており、1931年の関税法も政府に命令権限を認める点で一種の授権法であった。しかし、いずれの場合も授権の範囲は限定されたものであり、国会(ライヒスターク)への報告が義務づけられたうえに国会による政府措置の破棄も可能であった[7]

戦間期世界恐慌後、深刻な不況・失業率の急増に対して対応できない議会に対し不信が高まっていた。ヒンデンブルク大統領は議会を重視せず、国家緊急権である大統領緊急命令(ヴァイマル憲法第48条)を多用することで政治運営を図った。1931年には発令された緊急命令の数が国会採択を上回り、1932年には60発令に対し、議会での立法はわずか5に留まっている[7]。こうした権威主義体制は、議会制民主主義に失望する大衆の支持を集めていった。これらのことは、既に全権委任法以前から反議会主義的な世論が形成されていたことを示している。
ヒトラー内閣「ナチ党の権力掌握」も参照

ヒトラーは政権を握った際、自らに独裁権を与えることを主張していた。1932年7月の選挙国民社会主義ドイツ労働者党(通称:ナチ党)は第一党となり、国防相であったクルト・フォン・シュライヒャーパーペン内閣への協力を要求した。この時、ヒトラーは自らの首相就任と全権委任法の成立を要求している。しかしこの時は妥協が成立しなかった。

1933年1月30日に成立したヒトラー内閣最初の閣議でも、一定の授権法制定が議題となった[8]。その後ヒトラーはまもなく国会を解散し、4年間の政権委任を訴える選挙キャンペーンを行った。この選挙中の2月27日にドイツ国会議事堂放火事件が発生した。ヒトラーは大統領に要請し、「共産主義暴動の発生に対応するため」として、「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」と「ドイツ民族への裏切りと反逆的策動に対する大統領令(de:Verordnung des Reichsprasidenten gegen Verrat am Deutschen Volke und hochverraterische Umtriebe)」の2緊急命令を布告させた。ヒトラー政府はこの二つの大統領緊急命令の権限で、国会議員を含む多数の共産党員・社会民主党員を逮捕・予防拘禁した。また州政府への命令権限を利用し、州政府を次々に掌握していった。選挙の結果、ナチスは288議席、連立を組む国家人民党は52議席を獲得し、過半数を獲得した。全権委任法制定を待つまでもなく、ナチ党はこの段階でほとんど絶対的な権力を手にしていた[9]

3月7日の閣議でヒトラーは、憲法の範囲を超える全権委任法の制定への意志を表明した[8]。ヒトラーは国会での採択に自信を見せ、「共産党の議員が国会に現れることはないであろう」「彼らはあらかじめ拘禁されてしまっているのだから」と続けた[10]。3月15日の閣議では、ナチ党員の内務大臣ヴィルヘルム・フリックから法案を内示し、3月20日には最終案を提示した。副首相フランツ・フォン・パーペン、経済大臣アルフレート・フーゲンベルクは国民会議による憲法制定条項を追加することで、ナチ党の権限を制約しようとしたが、国会議長ヘルマン・ゲーリングによって簡単に一蹴された。こうして閣議は全員一致で全権委任法に賛成し、次の国会に提出することが決定された[11]

この間、各州の地方政府ではナチ党によるクーデターが相次ぎ、次々にナチ党の支配下に落ちていった。3月9日には最後まで抵抗したバイエルン州政府が総辞職し、国家代理官フランツ・フォン・エップが就任した[12]


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