全日空機高知空港胴体着陸事故
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全日空 1603便前輪が出ず擱座する全日空機
出来事の概要
日付2007年平成19年)3月13日
概要前輪が出なかったことによる胴体着陸
現場 日本高知龍馬空港
乗客数56
乗員数4
負傷者数0
死者数0
生存者数60(全員)
機種ボンバルディアDHC8-Q400
運用者 全日本空輸(ANA)
運航は当時のエアーセントラル
機体記号JA849A
出発地 大阪国際空港
目的地 高知空港
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全日空機高知空港胴体着陸事故(ぜんにっくうき こうちくうこうどうたいちゃくりくじこ)は、2007年平成19年)3月13日高知空港で発生した全日本空輸(ANA)1603便の航空事故胴体着陸事故)である。
事故当日のANA1603便2010年8月に撮影された事故機

使用機材:ボンバルディア DHC8-Q400

機体記号:JA849A

製造年:2005年


フライトプラン大阪国際空港午前8時10分発・高知空港午前8時55分着

運行担当:エアーセントラル

コールサイン:ALL NIPPON 1603

乗員:4名

乗客:56名

事故の概要

2007年平成19年)3月13日全日本空輸(ANA)1603便は、大阪国際空港を午前8時09分に出発し高知空港行きとして運航されていた。1603便は、大阪から高知に向かう便の第2便であり、運航は子会社のエアーセントラル(現在のANAウイングス)が行っていた。機体はターボプロップ機であるボンバルディア DHC8-Q400機体記号:JA849A、2005年製造)であった。エアーセントラルでは2003年から同型機が就航しており、使用機材の中では比較的新しい機体であった。

午前8時49分、1603便は高知空港への着陸態勢に移ろうとした。しかし、「ノーズギア(前輪)が出ない」との報告があった。通常の油圧による操作のほか、手動操作でも前輪が出せるように設計されている機体だったため、1603便は前輪を手動で出そうとしたがこれにも失敗し、また着地の際の衝撃で前輪を降ろそうとタッチ・アンド・ゴーを繰り返したが成功しなかった。

このため機長は最後の手段として胴体着陸を決断した。事故機は小型機のため、非常時に燃料を投棄する設備が装着されておらず、2時間あまり空港上空を旋回し燃料を消費した上で、高知空港への緊急着陸態勢に入った。この時、高知空港の滑走路は閉鎖され、滑走路横には消防車等の緊急車両が待機した。空港脇にはトラブル発生の報により報道陣や警察関係者が集まっていた。また、この緊急着陸の様子は多くのテレビ局が生中継して全国放送された。

1603便は午前10時54分に胴体着陸を決行し、メインギア(後輪)のみを滑走路に接地させて機首を水平やや上方に保った状態で15秒ほど滑走した後、緩やかに機首を下ろして滑走路と接触させながら減速し、機首接地の15秒後には無事停止して緊急着陸に成功した。機首下部が接地する際に火花を生じたものの、火災は発生せず、着陸の際の衝撃も少なかったため、乗員乗客60名にけが人はなかった。両方のメインギアが使え左右バランスへの影響があまり生じない状況だったことと、プロペラブレードの地面への接触による破損が発生しなかったこと[注 1]により機体へのダメージは最小限に抑えられた。機体には前脚格納扉から約5メートルの黒い擦過跡が残り、機底にある管制塔交信用の通信アンテナは先端が破損していたが、胴体部の損傷はそれのみであった。

この事故に際して高知新聞は適切な緊急着陸操作を行った機長の技量の高さがうかがえるとした[1]

事故の影響で高知空港は終日閉鎖され高知空港へ着陸するはずだった定期便は高松空港徳島空港への代替着陸を余儀なくされ、乗客はそこからバスなどの交通機関で高知へ向かった。
事故発生状況

この項目の記述は各種新聞報道[2]に基づく。

8時21分 - 大阪国際空港を離陸

8時47分40秒 - 当該機に対し高知飛行場管制所が高知空港滑走路32への着陸許可を発出[3]

8時49分50秒 - 同機は、ギア・ダウンできないので空中待機しつつ故障探求する旨を管制所へ通報[3]

9時14分00秒 - 同機は、地上の整備士に確認を依頼し、あわせて滑走路上空を500フィート (150 m)でローパスする許可を管制所に求める[3]

9時21分00秒 - 1回目のローパスを実施[3]

9時25分 - 機長が「前輪が下りないため、地上と連絡を取り合いながら原因を追究しています」と機内アナウンス

9時35分05秒 - 2回目のローパスを実施[3]

9時40分 - 高知空港の空港長室に対策本部を設置

9時44分 - 残燃料が3,100ポンド (1,400 kg)に。手動で前輪を出そうと試みる。空港に化学消防車2台と給水車1台が待機

9時45分 - 政府が首相官邸に情報連絡室を設置

9時50分頃 - ANA本社に羽田空港のオペレーション統括本部から「ランディングギア(車輪)が出ない状況で今、着陸を試みている」と一報が入る

9時57分58秒 - 同機は、前脚を下ろすために急旋回を試みた[3]

10時19分25秒 - 機長から「タッチ・アンド・ゴー(後輪を一瞬着地させてすぐに再離陸する手段)を実施し、(着地時の)衝撃で前輪が下りるか確認したい」と管制官に要請[3]

10時20分過ぎ - NHK、民放各社が生中継を開始

10時24分 - 管制官がタッチ・アンド・ゴーを許可

10時25分23秒 - 後輪だけを滑走路に接地させ、タッチ・アンド・ゴーを実施したが、前輪の収納ドアは作動せず上空に戻る[3]

10時28分 - 機長から管制官に「10時52分をめどに着陸を試みる」と連絡

10時34分00秒 - 機長が客室乗務員に指示し、一部の乗客を後方に移動させた[3]

10時35分00秒 - 空港消防が滑走路上に消火剤を散布[3]

10時40分 - 胴体着陸を決断

10時41分 - 機長から管制官に「あと5分後くらいに着陸したい」と要請

10時47分14秒 - 同機が管制所に着陸許可を求める[3]

10時50分 - 機長が「これから10分の燃料しかありません。胴体着陸を試みます。もう一度申し上げますが私は(こうした状況に備えて)多くの訓練をしてきました。安心してください」と機内アナウンス[4]

10時52分10秒 - 管制所が同機に風向と風速を通知[3]

10時53分 - 機長が「着陸1分前です」と機内アナウンス

10時54分 - 前輪が下りないまま着陸態勢に入り、後輪だけで滑走路に着地。約15秒後に機首が地面に接し、その約15秒後に完全停止。この直後に消防隊員、整備員らが機体周辺の点検を開始。消防車が機体前方を中心に放水する

11時06分 - 右側前方ドアが開く

11時08分 - 乗客が降り始め、機体近くで待機していたバスへ向かう

11時12分 - 乗客全員が降りる

11時40分 - ANAが羽田空港で記者会見し「ご迷惑をお掛けして深くお詫び申し上げます」と謝罪

12時10分頃 - 国土交通省が記者会見で「聞いたことのない事例」と話す

12時15分 - ANAが続けて高知空港で記者会見し謝罪

事故原因
原因調査

事故発生当日から原因調査が行われた。前輪が出なかった直接の原因は、前輪格納庫の開閉扉を動かすアーム部に装着されている円筒形状の部品(スリーブ)が、本来の装着位置よりずれて機体側に引っ掛かっていたことであった。また、筒状部品を固定するボルト1個が紛失していた。ボルトで固定されるべき筒状部品が、離着陸を重ねるごとに徐々にずれて機体側に引っかかりロックしてしまったため、バックアップの手動操作も機能しなかった。事故調査委員会は、事故原因となった前脚ドア部を接合する筒状部品にボルトが入っていた痕跡がないため、事故機の製造過程からボルトを入れ損ねていた可能性が高いとの見方を固めたという。またメーカーによるマニュアルのチェックリストに載っていなかったため、全日空は2005年7月の機体受領以来、該当部分の点検整備自体をしていなかった。そのため事故原因は初歩的な製造ミスの疑いが高いという。これに対してボンバルディア社は大筋で製造ミスを認めており、当該機の引渡し前に前脚部全体をテスト後全交換した際に起きたミスである可能性が高い。従って、ボンバルディア社の製造管理体制の不備を指摘する方向で最終調査が進んでいる[5]。また後述のように当事故以降に主脚が原因の胴体着陸事故が海外で頻発している。
事故原因調査報告

2008年5月28日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、カナダのボンバルディア社での納入前試験で開閉装置を損傷した時の修理で前輪格納扉を開閉アームの支点部分のボルトを付け忘れたことが事故原因とする報告を発表[3]し[要校閲]、カナダ運輸省に同社の品質管理体制強化の指導をするよう求めた[6]。同社のトッド・ヤング副社長は記者会見において「多くの皆様にご心配やご迷惑をおかけしたことを改めて深くおわびする」と陳謝し、「事故後、修理マニュアルを具体化するなど5段階の改善策を実行した。安全性には自信を持っている」と語った[7]
事故後の経過
事故への批判と続発するトラブル「ボンバルディア機の航空事故とインシデント」も参照

事故原因はメーカーにおいて製造の最終段階で行われた納品前検査時の損傷を修理した時にボルトを付け忘れたことが原因であったが、同型機で頻繁に運航トラブルが発生していたにも関わらず、その原因の特定すら行われていないまま運航を継続していた。この理由は、当機種がYS-11の後継機で地方路線の主力機だったから、あるいは、日本が導入できる数少ない50-70名級ターボプロップ機であったから、という見方がある。高知県民からは大きな事故発生の不安が強まっており[8]、事故後は利用者や旅行代理店支店長から全日空への批判の声が上がった[9]

負傷者こそ出なかったが同機における初めての重大インシデントであった。同型機を導入した日本航空グループにおいてもトラブルが続発していたが、全日空のように事故には至っていなかった。

事故機となったDHC8-Q400は、この事故以前から主脚を格納する油圧系統の動作不良、油漏れが相次いだほか、設計ミスによる配線不良や電子機器の故障が発覚しており、機体整備による欠航や離陸後に引き返す事例が多発(2005年から2007年までに同事故を含め77件という異常な多さ)していた[10]。また就航した2002年から事故まで通算で88件のトラブルを起こしていた[11]。さらに2007年9月にはスカンジナビア航空の同型機で、着陸時に左主脚が分断して胴体着陸する事故が連続して発生したため、国土交通省の緊急点検の指示を受けて運航時間1万時間を越えていた日本エアコミューターの3機と、9000時間を越えていた全日空グループの2機が運航中止になった。同年10月には9月以降も繰り返し起きたスカンジナビア航空の事故の影響を受け、同社で不具合の多かった箇所を日本エアコミューター、全日空の所持する同型機24機に対し重点的な点検を行った[12]

以前にも全日空グループのDHC8-Q400では、2004年11月21日にエアーニッポンネットワークが運航する便が高知空港で滑走路を逸脱して滑走路脇で動けなくなり空港を閉鎖させるオーバーラン事故[13]や、2006年2月9日にANA1823便の車輪が着陸前に全て出なくなり手動で下ろすトラブルなどが起きていた。


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