全日空サッカークラブ
原語表記全日空サッカークラブ
呼称全日空
クラブカラー白と青
創設年1964年
解散年1992年
所属リーグ日本サッカーリーグ他
ホームタウン神奈川県横浜市
ホームスタジアム国立霞ヶ丘競技場陸上競技場
三ツ沢公園球技場
ホームカラーアウェイカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
全日空サッカークラブ(ぜんにっくうサッカークラブ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。全日本空輸の子会社である全日空スポーツが運営していた。呼称は全日空。かつて日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟していた横浜フリューゲルスの前身となったクラブである。 1964年に横浜市中区スポーツ少年団として創設、当初は小学生から社会人の各年代のチームを擁する市民クラブであった。 1975年に横浜サッカークラブに改称。1979年から全日空が資金援助を行い名称は当時の全日空の主力機であったロッキード L-1011 トライスターに肖った横浜トライスターサッカークラブへ変更された。1984年に日本サッカーリーグ(JSL)1部昇格を決めた事を契機に、全日空は完全出資の子会社「全日空スポーツ株式会社」を設立し、全日空横浜サッカークラブに改称、本格的な経営に乗り出した。 しかし1985年シーズンのJSL1部では最下位と低迷を続け、来期に向けた選手との契約問題のもつれからボイコット事件(後述)が発生し、選手や関係者が処分される事態に発展した。 その後、名古屋相互銀行や永大産業で選手、指導者経験のある塩澤敏彦を監督に迎えると、1988年に1部復帰を果たし全日空サッカークラブに改称。前田治やフェルナンド・ダニエル・モネールらを擁して1988-89シーズンのJSL1部では2位、翌1989-90シーズンでは3位。天皇杯では1988年と1989年に2年連続でベスト4進出を果たした。 1991年に塩澤に代わって日産自動車の監督として実績のある加茂周が監督に就任。加茂は当時世界最先端の戦術であったゾーンプレス[1] を導入するため、スロベニアからズデンコ・ベルデニックをコーチとして招聘し、戦術の浸透に務めた。 1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足に伴い、全日空スポーツの運営に佐藤工業が参画することとなり、横浜フリューゲルス(日本サッカー協会への登録名は「全日空佐藤工業サッカークラブ」)へ移行した。 中区スポーツ少年団時代から使用していた戸塚グラウンドは、2006年シーズンまで横浜F・マリノスが、2007年から横浜FCがそれぞれ練習グラウンドとして使用している。 年度カテゴリ順位勝点勝分敗得点失点監督 1986年3月22日、第21回日本サッカーリーグ第22節の対三菱重工戦(国立西が丘サッカー場)において、かねてから全日空によるクラブ運営に不満を抱いていた全日空クラブ所属の登録選手6名が試合をボイコットする事態が発生した。 全日空クラブは、この試合を残りの登録選手10名(うち先発メンバーは8名)で行い、1対6で三菱に敗れた。ルール上、1チーム7名以上の選手が出場していれば試合は成立するが、このリーグ史上初の不祥事に日本サッカー協会は、試合をボイコットした6選手に対して無期限登録停止、全日空クラブに対し翌シーズンのJSLカップを含む3か月間の公式戦出場停止の処分を下した。
概要
略歴
1964年 横浜市中区スポーツ少年団として設立
1983年 JSL2部昇格
1984年 JSL1部昇格
1985年 JSL2部降格
1988年 JSL1部昇格
タイトル
リーグ戦
JSL2部:1回
1987年/88年
関東サッカーリーグ1部:1回
1983年
カップ戦
全国地域リーグ決勝大会:1回
1983年
過去の成績
1971神奈川県3部優勝西海輝
1972神奈川県2部優勝森豊
1973神奈川県1部
1974
1975田中豊
1976森本孝光
1977久田英夫
1978
1979
1980
1981優勝
1982関東3位2311163221
1983優勝3114315511
1984JSL2部2位2612243117栗本直
1985JSL1部12位521191657
1986JSL2部・東下位11位207673330塩澤敏彦
1987JSL2部・東2位207612613
JSL2部・上位優勝241121266
1988-89JSL1部2位4012463722
1989-903位4011743416
1990-917位277692424
1991-928位256792023加茂周
ボイコット事件詳細は「全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件」を参照