全日空アカシア便ハイジャック事件
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全日空アカシア便ハイジャック事件
全日空のボーイング727
場所 日本航空自衛隊浜松基地
標的全日本空輸175便
(アカシア便)
(ボーイング727-81、機体記号:JA8305[1]
日付1970年昭和45年)8月19日
概要ハイジャック事件
犯人モデルガンを持った24歳の男
容疑航空機の強取等の処罰に関する法律違反
動機駆け落ちや心中の失敗によって人生を悲観した
対処犯人がハッチを開けた瞬間に静岡県警が突入し逮捕
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全日空アカシア便ハイジャック事件(ぜんにっくうアカシアびんハイジャックじけん)は、1970年に発生したハイジャック事件である。

なおこの事件は「よど号ハイジャック事件」を機に施行された「航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)」が初めて適用された事件でもある。
事件の概要

1970年8月19日小牧空港(名古屋)発千歳空港(札幌)行きの全日本空輸175便「アカシア便」[2]ボーイング727)が離陸後、操縦室に乱入したピストルを持った男(当時24歳)によりハイジャックされた。

「アカシア便」は犯人の要求通りに航空自衛隊浜松基地に緊急着陸した。犯人は望遠スコープ付きのライフルと弾丸100発、そしてガソリン入りポリタンク2つを要求した。また乗員乗客89名のうち57名は解放したが、残りの乗客を乗せたまま離陸するように要求した。この間に機長は隙を見て犯人のピストルは玩具であることを機外に知らせ、犯人に対しては残された乗客に妊婦がいると偽って交渉した。機長が「妊婦を下ろす」と書いたメモを機外に落とし、それを読んだ警察は犯人がハッチをあけた瞬間に突入し取り押さえた。

なお犯人の動機であるが妻の妹と駆け落ちして心中を図るも未遂に終わり、その彼女とも音信不通になったことから人生に悲観し、ハイジャックをすれば警官と銃撃戦になり射殺され楽に死ねると考えたからというものであった。

1972年4月28日、静岡地方裁判所(岡本二郎裁判長)は「航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)」を初めて適用し第1条第1項に当たるとして懲役7年(求刑懲役13年)を言い渡した。[3]1972年12月12日、東京高等裁判所(横川敏雄裁判長)は一審判決を支持し控訴を棄却した[4]
脚注^ “Accident description All Nippon Airways Flight 175”. 2020年4月25日閲覧。
^ 当時小牧?千歳線はアカシア便という愛称が付けられていた。
^ 朝日新聞1972年4月28日夕刊、3版、10面
^ 朝日新聞1972年12月12日夕刊、3版、10面

関連項目

航空機の強取等の処罰に関する法律










1969年・ 1970年 (1970)の航空事故・インシデント ・1971年


02月02日:アメリカ空軍F-106A戦闘機

02月15日:ドミニカーナ航空603便

02月21日:スイス航空330便

03月17日:イースタン航空シャトル1320便

03月31日:日本航空351便

05月02日:ALM 980便

07月05日:エア・カナダ621便

07月27日:フライング・タイガー・ライン45便

08月12日:中華航空206便

08月19日:全日本空輸175便

09月06日:エル・アル航空219便 /
09月06日:トランス・ワールド航空741便 /
09月06日:スイス航空100便 /
09月06日:パンアメリカン航空93便

11月27日:キャピトル・インターナショナル航空C2C3/26便


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