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全日本女子プロレス中継
主な中継先となっていた川崎市体育館
ジャンルプロレス中継
オープニング「ライツ・アウト・マーチ」
国・地域 日本
言語主に日本語
製作
制作フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ
放送国・地域 日本
女子プロレス・真赤な青春
オープニング別項
放送期間1977年7月15日 - 1979年9月28日
放送時間金曜 19:00 - 19:30
放送分30分
女子プロレス
放送期間1984年7月9日 - 1986年9月22日
放送時間月曜 19:00 - 19:30
放送分30分
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全日本女子プロレス中継(ぜんにほんじょしプロレスちゅうけい)とは、かつてフジテレビが行っていたプロレス中継である。レギュラー放送されていた固有名称ありの番組としては『女子プロレス・真赤な青春』や『女子プロレス』などがある。 基本的には関東地区ローカルで、主に日曜日の午後もしくは夕方に、90分枠で不定期に放映されていた(後年深夜に移動)。1970年代から1990年代において数回起きた「女子プロレスブーム」を牽引する一助ともなった。1970年代末期および1980年代中期には、先述の枠と並行してゴールデンタイムで30分枠のレギュラー番組も放映された。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2017年4月) ※ なお、1993年に“『全日本女子プロレス中継』オープニング・テーマ”という名目の「Deep Up!」という曲がCDシングル化されたが、実際の番組では使用されなかった。同曲のカップリングは、豊田真奈美 / 山田敏代によるデュエット曲「POWER ON THE DREAM」で、こちらは番組内の“歌のコーナー”で何度も流れている。
番組概要
歴史
1968年12月1日、この年に旗揚げした全日本女子プロレスの試合を、フジテレビが「日曜指定席」という特番枠にて放映したのが始まりである。一時はフジテレビ以外の局でもごく散発的に同団体の試合放映が行われた。その後、正確な開始年月は不明であるが、同局で不定期に中継が行われるようになった。
1977年、ビューティ・ペアによる女子プロレスブームが起こると、元来の不定期枠と並行して、19時台に「女子プロレス・真赤な青春」のタイトルで週一回のレギュラー番組を開始、30分枠ながらゴールデンタイムに進出を果たした(1977年7月15日 - 1979年9月28日。フジテレビで毎週金曜19:00 - 19:30。ローカルセールス枠。)。このブームをきっかけにして、当番組を流す地方局も出始めた(後述の1980年代および1990年代のブームの際も同様に、遅れネットながら地方局で放送されるケースがいくつか見られた)。平均視聴率は14?15%(ビデオリサーチ調べ・関東地方)を誇ったが、ビューティ・ペアの解散後それは下降し、1979年9月の時点では平均9.6%。「ビューティ・ペアに続くスターがなかなか出て来ない」(フジテレビ編成部・談)からということでゴールデンタイムから撤退、以後は日曜午後(16時?17時台)の『日曜スペシャル』で月2回ほどの中継を継続するのみとなった[1]。
1980年代中期、再び不定期枠一本に戻っていたところで、クラッシュギャルズが再び女子プロレスブームに火を点けると、一旦消滅したゴールデンタイムのレギュラー枠が「女子プロレス」のタイトルで復活(1984年7月9日 - 1986年9月22日。フジテレビで毎週月曜19:00 - 19:30)。人気は最高潮に盛り上がり、「金曜おもしろバラエティ」などの単発枠にて、ビッグマッチが特番として数回、全国放映されたりした。また、これらとは別に関東ローカルで「女子プロレスタイム」というタイトルで新人の試合を中心に中継をする放送枠も設けられていた(1985年頃。土曜17:30 - 18:00)。
しかしその後、ブームの退潮と共に視聴率も低下し、ゴールデンタイムのレギュラー枠から再度撤退。これ以降は、レギュラー・特番通じてゴールデンタイムに放映されることはなかった(ただし関西地区では、1985年8月に行われた長与千種VSダンプ松本の敗者髪切りデスマッチで、「残酷」との苦情がテレビ局〔関西テレビ〕に寄せられたため、この試合を契機に番組自体が同局では打ち切りとなり、サンテレビ・KBS京都・テレビ和歌山へ移行した)。
その後、元来の不定期枠も、深夜へと移行。それでも「オールスター戦」や「東京ドーム大会」といった、1990年代のいわゆる「対抗戦ブーム」の際には、昼間枠と深夜枠で2回に分けて放映された。
末期にはフジテレビのお台場本社スタジオにて試合が行われたこともあった。
1997年10月の全女倒産騒ぎ以降は、放映が事実上ストップ状態になった。2回も過去の総集編が放映され、最初の総集編放映時のエンディングでは「これからも女子プロレスに注目していきたいと思います」とアナウンスされた。
そして1998年7月、番組コンセプトを大幅に変更し「格闘女神ATHENA」として放映されることとなった。
テーマ曲
アール・エレソン・マッコイ「ライツアウトマーチ」(開始当初。当時のフジテレビスポーツ番組共通テーマ曲)
窪田宏
ビューティ・ペア「真赤な青春」(「女子プロレス・真赤な青春」時代)
ジャッキー佐藤「ポケット一杯のなみだ」(同上。1979年にマキ上田が試合に敗れて引退し、ビューティ・ペア解消後に使用)
ジャッキー佐藤「美しい決意」(同上)
「BEAUTIFUL CHALLENGERS」(1980年代より番組のエンディングテーマとして使用。当時の若手選手の入場テーマ曲としても使われた)
スタッフ
プロデューサー:高田明侑、青柳弘邦、熊田共一
ディレクター:小林延行
技術協力:八峯テレビ
制作:フジテレビ第二制作部
制作著作:フジテレビ
放送局が望まれています。
フジテレビ
秋田テレビ - 時差ネット。
福島テレビ - 30分版『女子プロレス』を1984年10月8日から1986年9月まで同時ネットで放送[2]。
新潟総合テレビ
富山テレビ - 30分版『女子プロレス』を1985年4月6日から放送。土曜 17:30 - 18:00の遅れネット[3]。
山梨放送 - 30分版『女子プロレス』を1985年10月から放送。
東海テレビ - 90分版・30分版ともに不定期放送。中断時期あり。
サンテレビ
関西テレビ - 30分版のみ。
KBS京都
テレビ新広島 - 90分版・30分版ともに不定期放送。
テレビ西日本
サガテレビ
鹿児島テレビ
備考
実況は元日本テレビアナウンサーの志生野温夫が担当。