この項目では、男子について説明しています。女子については「全日本大学女子駅伝対校選手権大会」をご覧ください。
全日本大学駅伝対校選手権大会開始年1970
主催日本学生陸上競技連合
朝日新聞社
テレビ朝日
メ?テレ
チーム数27チーム
加盟国 日本
前回優勝駒澤大学(4年連続 16回目)
最多優勝駒澤大学(16回)
公式サイト
全日本大学駅伝
秩父宮賜杯 全日本大学駅伝対校選手権大会[注 1](ちちぶのみやしはい ぜんにほんだいがくえきでんたいこうせんしゅけんたいかい)は、1970年より毎年秋に開催される、日本全国の男子[要曖昧さ回避]大学生チームを対象とした競技大会。日本の大学駅伝チームの日本一を決める大会であり、各大学種目のインカレに相当する大会である。
全国の男子の大学駅伝としては、1月2・3日開催の箱根駅伝(初開催1920年)と、スポーツの日開催の出雲駅伝(初開催1989年)と共に、大学三大駅伝の一つとされる。通称は「伊勢路[要曖昧さ回避]」、「神宮駅伝」とも。 愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮西門前から、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮宇治橋前までの間の8区間106.8kmで争われる。優勝校には、秩父宮賜杯が贈られる。開催日は毎年11月第1日曜日。 国際千葉駅伝の日本学生選抜への代表選考会も兼ねて開かれていた時期もあった。 1970年ごろ、箱根駅伝へ出場できない大学、特に東海学生陸上競技連盟の梅村C明が中心となり、全国大会を開催しようという気運が盛り上がっていた。又同年は、朝日新聞名古屋本社が第二次世界大戦後の新聞復刊20周年という節目で、その記念行事を仕切っていた波藤雅明が学生時代に東海学生陸上競技連盟に所属しており、この動きを察知して東海学連と朝日新聞社を結びつけたことにより、この大会が東海地区で実施されることとなった。
沿革と特徴の概略
沿革
1970年:3月に第1回大会を全20校で実施。なお、コース設定は1937年から1948年まで開催されていた東海学生駅伝競走大会(参宮駅伝)で使用されていたものをなぞっている。
1971年:開催時期を1月中旬実施に変更。
1979年:前半後半の2部制を一本化する。
1988年:開催時期を11月第1日曜日実施に変更。この年に限り1月・11月と2回開催されている。出場校を23校に増枠。
1990年:代表枠の変動制を導入を発表。次年度枠から適用(詳細は#代表枠数の変遷を参照)。アイビーリーグ選抜のオープン参加招待で全24チームに(1997年まで)。
1999年:出場校を25校+連合チームのオープン参加に増枠。
2001年:前年度成績上位6チームにシード[要曖昧さ回避]出場権を与えることを開始。
2006年:東海学連選抜がオープン参加し全26チームに。
2011年:東日本大震災の被災地支援の一環として東北学連選抜がオープン参加し今大会のみ全27チームに。
2013年:代表枠の変動制のルールが変更される。
2014年:
この年の出雲駅伝が台風の影響に伴い中止となったため、例年出雲駅伝の上位3校に与えられる次大会のシード権が今大会の上位3校に与えられる措置を取った[2]。
区間エントリーのルール変更され大会当日の朝に区間エントリーされた選手と補欠選手の差し替えが3人まで認められる(区間エントリーした選手の区間変更は認められない)
2015年:学生の長距離部門における選手の育成・強化として全日本大学選抜がオープン参加し全27チームに。
2018年:26年振りの区間距離改正が行われ8区以外の区間距離が変更。シード出場枠が8チームに拡大。全日本大学選抜を日本学連選抜に名称を変更。
2020年:新型コロナウイルス感染拡大防止のため、日本・東海学連選抜のオープン参加の編成を中止し、今大会は25校での実施。また、関東・関西地区の予選会は中止となり書類選考で選出された。
主催・協賛
主催は日本学生陸上競技連合・朝日新聞社・テレビ朝日・名古屋テレビ放送(以下「メ?テレ」と記載[注 2])の4団体。
2019年の第51回大会からは長谷工グループが特別協賛[3]。