全日本大学野球選手権大会
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全日本大学野球選手権大会競技野球
開始年1952
主催
全日本大学野球連盟
読売新聞社
チーム数27チーム
加盟国 日本
前回優勝青山学院大学(2023年)
最多優勝法政大学(8回)
公式サイト
全日本大学野球連盟
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全日本大学野球選手権大会(ぜんにっぽんだいがくやきゅうせんしゅけんたいかい、英語表記はJapan National Collegiate Baseball Championship)は、毎年6月に明治神宮野球場東京ドームで開催されるトーナメント方式による大学野球の選手権大会。主催は全日本大学野球連盟で、2004年からは読売新聞社と共催。UNIVAS CUP指定大会。
大会概要

大会に出場できるのは全日本大学野球連盟によって加盟連盟としての承認が得られた各大学野球連盟の春季リーグ戦の優勝チーム[1]である。そのため、大学硬式野球におけるインター・カレッジ大会に位置づけられる。

秋季に開催される明治神宮野球大会(大学の部)と合わせて大学野球の2大全国大会の一つであり、年間を通しては大学球界の最上位タイトルになる。

1947年東京六大学野球連盟東都大学野球連盟関西六大学野球連盟 (旧連盟)(以下、旧制大学3連盟)が設立した全国大学野球連盟が開催する大学野球王座決定戦が開催された。一方、第二次世界大戦後に発足した新制大学で構成された全国新制大学野球連盟は、大学野球界初の全国大会となる新制大学野球選手権を開始した。当初は旧制大学3連盟による全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟の間に全国組織の運営を巡って考え方の不一致があり、そのため、この時期の大学野球界は日本一決定戦が2つ併存する状況が発生していた。

その後の話し合いの結果、1952年には全国新制大学野球連盟を全国大学野球連盟に吸収する形で新しい全国大学野球連盟(当初は旧名称を継承したが2年目からは全日本大学野球連盟に改称)が発足。それに伴い全国大会も統一され全日本大学野球選手権大会が誕生した。

以上のような大会発足時の経緯から、当初は旧制大学3連盟のみが連盟単独の出場権を持っており、新制大学野球連盟から移行した他の連盟や所属チームは、各地域毎に地区代表決定戦を行った上で本大会出場する形態となっていた。大会発足当時の出場枠は以下の通り。

東京六大学野球連盟

東都大学野球連盟

関西六大学野球連盟(旧関西六大学)

北海道・東北地区(後に北部地区大学野球連盟

関東地区(後に甲信越を加えて東部地区大学野球連盟

東海地区(後に北陸を加えて中部地区大学野球連盟

近畿・中国・四国地区(後に西部地区大学野球連盟

九州地区

なお、全日本大学野球連盟発足時の1952年1月の時点では、新制大学野球連盟側から移行した各地区連盟についてはまだ完全には整備されておらず、第一回の全日本大学野球選手権大会開催(同年8月)には参加校数の関係で一部不参加の地域があったり、後の地区名とは名称が異なったりしていた。

新制大学野球連盟から移行し、これら地区連盟内の内部に組み込まれたものの中には、現存している連盟の前身や母体に繋がる連盟として既に結成されていた連盟もあるが、リーグ戦は代表決定戦と別に行っていたり、リーグ戦自体は行わずに代表決定戦の地域とりまとめを行うだけだったりと、そのあり方については様々であった(当時の詳細な情況が不鮮明な地区も多いが、各地区の情況については関連する各連盟の項を参照のこと)。

1965年には、東京新大学野球連盟(東部地区から独立)、関東五大学野球連盟(東部地区から独立)、首都大学野球連盟(東都からの脱退校により新結成)、愛知大学野球連盟(中部地区から独立)、九州六大学野球連盟(九州地区から独立)の各大学連盟に出場権が与えられた。これは旧制大学3連盟以外への処置としては初めての単独出場権付与であり、実力的には未だ旧制大学3連盟には及ばないながら、大学野球の更なる普及振興の目的と共に新制大学野球連盟から移行した各大学野球連盟の実力が徐々にではあるが整ってきたことが認められた事に因る処置でもあった。

その後も地区内で結成された連盟に対して逐次出場権が与えられ、現在のような運営形態に発展していった。

なお、本大会出場の優秀選手や出場選手を中心として日米大学野球選手権大会の日本代表チームの構成メンバーが選出される。

開会式は、第57回大会までは開幕日第一試合前に明治神宮球場で行っていたが、第58回大会以降は開幕前日に室内会場(日本青年館など)にて行われている。
沿革

1946年 - 学制改革により、旧制大学と旧制専門学校、師範学校の多くが新制大学に移行

1947年 - 旧制大学から続く3連盟により全国大学野球連盟が結成。三大学リーグ王座決定戦が開催。同時にその他の連盟により全国新制大学野球連盟が誕生。新制大学野球選手権を主催

1952年 - 全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟が合併により発展的解消。第1回全日本大学野球選手権大会開催。

1967年 - 初の地方開催として名古屋で開催。

1974年 - 札幌で開催。

1976年 - 4強進出校でのページシステムによる敗者復活戦方式を導入。敗者復活戦勝者チームが優勝。

1977年 - 前年度採用の敗者復活戦方式を廃止。

1989年 - 3度目の地方開催として神戸で開催。

1991年 - 出場枠の大幅拡大処置が執られる[2]

1992年 - 指名打者制度を採用。

2000年 - 大会パンフレットの体裁を大刷新。初めて選手の写真入り名鑑になる。

2001年 - 大会50回を記念し北海道と沖縄にそれぞれ特別枠(記念大会限定措置)を付与、この年のみ2増の28代表で実施された。大会パンフレットに初めて過去の歴代大会のトーナメント結果が掲載されるようになる。

2004年 - この年の大会パンフレットから歴代出場校一覧の掲載がはじめる。

2004年 - 読売新聞社との共催を開始

2005年 - 初めて東京ドームとの併用開催を実施

2007年 - 大会史上初めて放送メディアによる全試合の中継放送を実施[3]

2011年 - 東日本大震災の影響による節電対策として、決勝を除き延長10回から1死満塁で攻撃を開始するタイブレークを採用(2017年度大会現在まで継続採用中)。

2020年 - コロナ感染拡大の影響で8月に延期。その後、史上初の中止が発表された[4]

出場枠の変遷

回次連盟単独地区予選
第1回
(1952年)

東京六大学野球連盟

東都大学野球連盟

関西六大学野球連盟 (旧連盟)


北海道・東北地区

関東地区

東海地区

近畿・中国・四国地区

九州地区

第2回
(1953年)

東京六大学野球連盟

東都大学野球連盟

関西六大学野球連盟 (旧連盟)


北海道・東北地区

東部地区

中部地区

近畿地区 - 独立の出場権付与。

西部地区

九州地区

第4回
(1955年)

東京六大学野球連盟

東都大学野球連盟


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