全日本吹奏楽コンクール(ぜんにほんすいそうがくコンクール、All Japan Band Competition)は、一般社団法人全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が主催し、毎年開催するアマチュア吹奏楽団体を対象とした音楽コンクールである。1940年(昭和15年)に同新聞社が創設したものの、太平洋戦争勃発により中断、戦後は1956年(昭和31年)に再開された。本大会は、日本の吹奏楽界では最大規模の大会である。 [1][2][3]
歴史
1940年(昭和15年)11月23日:第1回全日本吹奏樂競演會 紀元二千六百年奉祝 集團音楽大行進並大競演會
奉納演奏 : 橿原神宮[注 1]
行進演奏 : 中之島公園運動場[注 2] - 淀屋橋 - 御堂筋南下[注 3] - 本町4丁目 - 道頓堀橋 - 千日前 - 生國魂神社参拝[注 4]
舞台演奏 : 大阪朝日会館主催 : 大日本吹奏樂連盟・朝日新聞社
後援:陸軍省、海軍省、文部省、厚生省役員 : (会長)子爵 岡部長景、(副会長)村山長挙・小森七郎課題曲[注 5] : 吹奏楽部 大行進曲「大日本」(斉藤丑松)[注 6]/喇叭鼓楽部[注 7] 意想曲「野営の篝火」(大沼哲)審査委員 : 乗杉嘉寿(審査委員長)、陸軍軍楽隊隊長 大沼哲、海軍軍楽隊隊長 内藤清五
〈戦争のために中断〉
1956年(昭和31年)12月9日:第4回全日本吹奏楽コンクール 大阪府立体育館全日本吹奏楽コンクールとして再開。主催 全日本吹奏楽連盟・朝日新聞社表彰 部門毎に出演団体に順位を点け表彰する。中学の部(テープ録音審査)[注 12]、高校の部、職場の部、一般・大学の部:30名以内、演奏時間10分以内。
1957年(昭和32年):中学の部、高校の部、職場の部、一般・大学の部:40名以内、演奏時間12分以内に改定。
1959年(昭和34年):3年連続1位受賞団体特別演奏制度開始(1956年からカウント。1970年の特別演奏まで)。
1961年(昭和36年):「一般・大学の部」を「大学の部」と「一般の部」に分離。中学、高校、大学、職場、一般の5部門になる。
1964年(昭和39年):高校の部:45名以内 大学の部:45名以内 に改定。
1965年(昭和40年):高校の部:40名以内 に改定。
1970年(昭和45年):金賞・銀賞・銅賞のグループ表彰になる。
1974年(昭和49年):中学の部、高校の部:45名以内 大学の部、職場の部:55名以内 一般:60名以内 に改定。
1975年(昭和50年):5年連続金賞受賞団体特別演奏制度[注 13]開始(1970年からカウント。1995年の特別演奏まで)。
1977年(昭和52年):この年より会場を普門館に固定し、すべての部門を同所で開催。
1980年(昭和55年):この年より大学・職場・一般の部のみ再び会場を全国各支部持ち回りで開催することとなった。
1981年(昭和56年):高校の部:50名以内 に改定。ピアノ、コントラバス以外の弦楽器が使用できるようになる。
1982年(昭和57年):中学の部:50名以内 一般:制限なし に改定。
1992年(平成4年): それまで日曜日に一日で開催していた大学・職場・一般の部の開催日程について、大学の部を単独で土曜日の午後から夕刻にかけて、職場の部と一般の部を翌日曜日に終日、それぞれ開催するよう改めた。
1994年(平成6年): 3年連続金賞受賞団体特別表彰制度[注 14]開始(1991年からカウント。1998年の表彰まで。ただし5金制度からの移行措置として、1993年で5金となる団体は翌1994年に5金特別表彰ならびに特別演奏、1994年で5金となる団体は翌1995年に5金特別表彰ならびに特別演奏)。
1996年(平成8年): 中学の部、高校の部で入場券を前半の部と後半の部に分け、入場者の入替制を開始。審査においても前半の部と後半の部を分け、それぞれ独立した大会として審査する方式に改定。
1998年(平成10年):弦楽器はコントラバスのみ。曲中のスキャット(声)は認める。
1999年(平成11年):3年連続出場制度[注 15]開始(1996年からカウント。2013年のお休み[7]まで)。
2003年(平成15年):一般の部:80名以内 に改定。
2007年(平成19年):自由曲の編成は木管楽器、金管楽器、打楽器(擬音楽器を含む)とする。ただし、コントラバス・ピアノ・チェレスタ・ハープの使用は認める。エレキベース(サイレントベースを含む)が使用できなくなる。
2009年(平成21年):「職場の部」と「一般の部」を「職場・一般の部」に統合。中学、高校、大学、職場・一般の4部門になる。あわせて、職場・一般の部の各支部代表枠をそれぞれ1団体増やした。高校の部:55名以内 職場・一般の部:65名以内 に改定。職場・一般の部の審査においても前半の部と後半の部を分け、それぞれ独立した大会として審査する方式に改定。ハープやコントラバスなどの台、ホルンの反響板などの持ち込みができなくなる。
2013年(平成25年):指揮者について、同一人物が同一部門において複数の団体を指揮することのないよう制限を加えた。
2015年(平成27年):中学の部・高校の部の出場団体数を、前半の部・後半の部ともに各15団体(合計30団体)とする。
2020年(令和2年):新型コロナウイルス感染症の流行の収束予測が立たないため中止[8][9][10]。
2022年(令和4年)度:全国の正会員を対象にコンクール実態調査を実施[11][12]。