全州和約(ぜんしゅうわやく)は、1894年6月10日(太陽暦)に、朝鮮政府と甲午農民戦争の指導者全?準の間で結んだとされる和約。ただし、根拠となる一次史料は発見されていない。目次 呉知泳
1 概要
2 脚注
3 関連項目
4 外部リンク
概要
全?準らが以上を誓願した史料はあるが、朝鮮政府がこの誓願を受け入れたという史料は発見されていない。つまり「和約」として成立した根拠がない。また朝鮮政府が日本に全州和約の締結をもって撤兵を依頼した史料も発見されていない。
しかし何故か、根拠史料が不明であるが、文献によっては農民軍が朝鮮政府と和約を結び、全州を撤退したと記しているものもある[1]。 [脚注の使い方]
脚注
^ 武田幸男『新版 世界各国史2 朝鮮史』山川出版社、2000年、242頁。ISBN 978-4634413207。「農民軍は全州を包囲した政府軍と激戦を展開していたが、清日両国軍出兵の報を聞いて、六月十日、政府側と「全州和約」を結んで全州を撤退した。」
関連項目
甲午農民戦争
緑豆の花 - 甲午農民戦争と同じく、ベースにした2019年のテレビドラマ。劇中にて和約が締結されている。
外部リンク
⇒百周年をむかえた甲午農民戦争
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更新日時:2021年3月23日(火)16:42
取得日時:2022/05/01 00:51