全国高等学校野球選手権長野大会
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全国高等学校野球選手権長野大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんながのたいかい)は、長野県で開催されている全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の地方大会。

なお、長野県代表が全国大会に出場するには、第2回・第3回は北陸大会、第4回 - 第8回は甲信大会(長野、山梨)、第9回 - 第16回は甲信越大会(長野、山梨、新潟)、第17回 - 第40回は信越大会(長野、新潟)を勝ち進まなければならなかった。なお、第1回大会は出場していない。
目次

1 歴史

1.1 前史

1.2 正史


2 使用球場

3 大会結果

4 放送体制

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

歴史
前史

1931年(第17回) - 「全国中等学校優勝野球甲信越大会」が山梨県の離脱により長野県新潟県を対象とする「信越優勝野球大会」と改称。同大会の長野県予選大会としてスタートする。

甲信越優勝野球大会時代までは参加各県総当りのトーナメント方式であったが当該大会から新潟県予選大会・長野県予選大会のベスト4以上が本選に進み代表を競うというシステムとなった。同大会の長野県予選大会が起源である。

長野県予選大会はさらに東北信予選大会・中南信予選大会を組みそれぞれのベスト16以上が本大会に進むというシステムであったがこれは当時長野県内でくすぶっていた南北対立に配慮してであった。


1941年(第27回) - 戦局悪化による交通制限実施のため長野県予選大会終了時点で中止となる。ちなみにその年の長野県予選会優勝校は長野県長野商業学校

1946年(第28回) - 終戦以降参加表明する学校が相次いだため長野県予選大会のシステムを再編。東信北信中信南信の4予選大会のベスト16以上が本大会に進むというシステムとなる。このスタイルで復活。

1948年(第30回) - 学制改革の第2段階により中等学校が高等学校と改称。これにより「全国高等学校野球選手権信越大会」の長野県予選大会となる。

1958年(第40回) - 47都道府県1代表の記念大会。初めて長野県全高等学校総当りの長野大会が行われる。

正史

1959年(第41回) - 長野県が当該大会から1県1代表参加となる。これにより「全国高等学校野球選手権信越大会」の長野県予選大会から本大会に昇格し「全国高等学校野球選手権長野大会」と改称。4予選大会は以降長野県大会予選大会となる。

1963年(第45回) - 長野大会と改称してから初の全総当りの大会が行われる。

記念大会としては以降1968年の第50回・1973年の第55回・1978年の第60回大会で行われる事となった。


1977年(第59回) - 当該大会を最後に4予選大会が廃止される。

1979年(第61回) - 当該大会以降全総当りが定着し現在にいたっている。

使用球場

長野オリンピックスタジアム

長野県営野球場(- 2012年)

中野市営野球場

長野県営上田野球場

小諸市南城公園野球場

松本市野球場

諏訪湖スタジアム

伊那スタジアム

伊那市営野球場

長野県営飯田野球場(- 2010年)

大会結果

年度(大会)校数優勝校決勝スコア準優勝校備考
1958年(
第40回大会松商学園1 - 0飯田
1959年(第41回大会)松商学園5 - 2桔梗ヶ原
1960年(第42回大会赤穂3 - 1長野
1961年(第43回大会伊那北5 - 1須坂商


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