全国高等学校野球選手権山梨大会
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全国高等学校野球選手権山梨大会小瀬スポーツ公園野球場
競技野球
大会形式トーナメント
開始年1979年
主催山梨県高等学校野球連盟
朝日新聞社
会場山梨県小瀬スポーツ公園野球場
山梨県富士北麓公園野球場
開催期間7月
参加数33校
前回優勝東海大甲府(2023年)
公式サイト
山梨県高等学校野球連盟
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全国高等学校野球選手権山梨大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんやまなしたいかい)は、山梨県で開催されている全国高等学校野球選手権の地方大会。
概要

山梨県勢は1918年第4回大会から地方予選に参加。
1977年第59回大会までは山梨大会の上位校が2次予選へ進出し、全国大会への出場校を決めていた[注 1]。特に山梨県の場合は周辺の県と比べても参加校が少ないため、2次予選の大会編成の変動が激しかった。なお、1958年1963年1968年1973年の予選は記念大会で1県1代表となったため、2次予選は開催されなかった。

年度参加県
甲信大会
1918年(第4回) - 1922年(第8回)山梨・長野
甲信越大会
1923年(第9回) - 1930年(第16回)山梨・新潟・長野
甲神静大会
1931年(第17回) - 1935年(第21回)神奈川・山梨・静岡
山静大会
1936年(第22回) - 1957年(第39回)山梨・静岡
西関東大会
1959年(第41回) - 1974年(第56回)埼玉・山梨
北関東大会
1975年(第57回) - 1977年(第59回)群馬・山梨

歴史

山梨県勢が初めて甲子園に出場した時期は1935年の第21回全国中等学校優勝野球大会であり、山梨県立甲府中学校(現:山梨県立甲府第一高等学校)が初めて甲子園の土を踏んでいる。なお、戦前の出場はこの1回のみ、戦後を含めても2回のみと山梨県勢にとって甲子園の土を踏むことは非常に困難であった。

学制改革が行われた後は記念大会による1県1代表制と優勝決定大会の相手の数が減少したことにより全国大会に出場する機会が増え、1960年代になると堀内恒夫擁する甲府商業が3回戦、西村公一擁する甲府工業がベスト8に進出するなど健闘を見せる。しかし、1970年代には低迷期を迎え、甲子園に勝利はおろか出場も困難な状況であった。

1978年より1県1代表制となり、山梨県内の高校は必ず甲子園の土を踏むことができるようになったが勝利することはできず、1980年まで7出場大会連続初戦敗退(13年夏の甲子園未勝利)という状態が続いた。1981年大八木治監督が赴任し着実に力をつけてきた東海大甲府1981年に県内私立高校として初めて甲子園の土を踏むと、翌1982年に10出場大会(16年)ぶりに甲子園で勝利を挙げる。以降県大会では1988年までの8大会中7大会において県代表になるなど圧倒的な強さを誇り、1985年には県勢初のベスト4まで進出した。

1990年代前半に入ると大八木監督が勇退した東海大甲府が低迷期に入り、代わりに甲府工業や市川などといった公立勢が復権。特に市川は「ミラクル市川」と呼ばれ、甲子園でも度重なる逆転勝利を収めていた。また、私立高校も山梨学院大附(2016年より山梨学院)と日本航空が成長し、公立勢と出場権を争うようになる。2000年代には低迷していた東海大甲府が復活し、甲子園では2004年2012年とベスト4に進出。
使用球場
現在


山梨県小瀬スポーツ公園野球場(通称:小瀬球場。2014年からは『山日YBS球場』)

山梨県富士北麓公園野球場(通称:北麓球場)
北麓球場が使用されるのは2・3回戦の一部試合のみで、殆どの試合が小瀬球場(山日YBS球場)で開催される。
過去


甲府市緑が丘スポーツ公園野球場(通称:緑が丘球場)(2007年まで)
2007年までは上述の小瀬球場および北麓球場との3球場で開催されていたが、この年の秋季大会で三塁側へ飛んだファウルボールが民家に飛び込み窓ガラスを破損する事故があり、これ以降当球場での試合は行われなくなった
歴代代表校

年度県勢参加代表校(出場回数)決勝スコア準優勝校全国大会
甲信大会
1918年(
第4回大会)2校長野師範(長野)3-1諏訪中-
1919年(第5回大会)なし長野師範(長野)6-3松本中-
1920年(第6回大会)なし松本商(長野)7-0長野師範-
1921年(第7回大会)なし長野中(長野)4-1松本商-
1922年(第8回大会)なし松本商(長野)4-2松本中-
甲信越大会
1923年(第9回大会)なし新潟商(新潟)9-5長岡中-
1924年(第10回大会)1校松本商(長野)16-3長野商-
1925年(第11回大会)1校長野商(長野)4-1松本商-
1926年(第12回大会)2校新潟商(新潟)3-0松本商-
1927年(第13回大会)5校松本商(長野)10-0新潟商-
1928年(第14回大会)1校松本商(長野)18-6長野商-
1929年(第15回大会)1校諏訪蚕糸(長野)13-1柏崎中-
1930年(第16回大会)5校諏訪蚕糸(長野)5-1長野商-
甲神静大会
1931年(第17回大会)10校神奈川商工(神奈川)2-1静岡中-
1932年(第18回大会)11校静岡中(静岡)6-0島田商-
1933年(第19回大会)11校横浜商(神奈川)4-1浅野中-
1934年(第20回大会)9校島田商(静岡)18-0静岡商-
1935年(第21回大会)8校甲府中(初出場)5-4神奈川工2回戦
山静大会
1936年(第22回大会)8校静岡商(静岡)11-1島田商-
1937年(第23回大会)6校島田商(静岡)1-0静岡中-
1938年(第24回大会)7校掛川中(静岡)1-0島田商-
1939年(第25回大会)7校島田商(静岡)19-0静岡中-
1940年(第26回大会)7校島田商(静岡)22-2静岡商-
1941年(第27回大会)7校韮崎中(出場なし)5-4日川中(中止)
1946年(第28回大会)11校沼津中(静岡)7-3掛川中-
1947年(第29回大会)12校谷村工商(初出場)4-2富士中1回戦
1948年(第30回大会)12校静岡一(静岡)10-5沼津一-
1949年(第31回大会)14校静岡城内(静岡)11-5日川-


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