この項目では、夏の硬式大会について説明しています。
春の大会については「選抜高等学校野球大会」をご覧ください。
女子の大会については「全国高等学校女子硬式野球選手権大会」をご覧ください。
軟式の大会については「全国高等学校軟式野球選手権大会」をご覧ください。
全国高等学校野球選手権大会今シーズンの大会:
第105回全国高等学校野球選手権大会(2023年夏)
開始年1915年(大正4年)
主催朝日新聞社
日本高等学校野球連盟
(後援・毎日新聞社
特別協力・阪神甲子園球場
以上2団体は全国大会のみ)
チーム数49チーム
加盟国 日本
前回優勝慶応
(2023年)
最多優勝中京大中京
(7回)
公式サイト
www.jhbf.or.jp/sensyuken/2023/
取りやめ
1918年 米騒動のため(第4回の回次は残る)
1941年 - 1945年 太平洋戦争のため(1941年の第27回の回次は残る。1942年 - 45年はノーカウント)
2020年 新型コロナウイルス感染症世界的蔓延の影響のため[1](第102回の回次は残る)
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2007年夏の甲子園開会式2009年夏の甲子園
全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)は、日本の兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場を主会場として、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟(高野連)が毎年8月に開催している高校野球の大会である。
前身の全国中等学校優勝野球大会は1915年(大正4年)に大阪府の豊中球場で第1回が開催され、1948年(昭和23年)より学制改革に伴い現行の名称となった。
大会旗および優勝旗の色は深紅で、特に優勝旗を指して「深紅の大優勝旗」と呼ばれている[2]。「夏の甲子園」「夏の高校野球」「全国甲子園」「甲子園」 「夏」「選手権」「○○回目の夏」などと表現されており、5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施される。
歴代優勝校は、全国高等学校野球選手権大会歴代優勝校を参照。 本大会の出場校は6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会[注 1]で決められる。試合方式は本大会と同じく、ともにすべてノックアウトトーナメントであり、優勝校が代表校として本大会に出場できる。全地方大会の出場校数は3,500校前後である(1990年から2011年は4,000校を越えていた)[注 2][3]。 地方大会の基本的なルールは、選抜高等学校野球大会(選抜=春の甲子園)と同じく開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上[注 3])が実施されている。ただし、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、雨天などにより9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。ただし、一部の地区では特別継続試合が採用されている。 第1回大会(1915年)では、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と、春の東京大会優勝校の計10校の代表であった[4][5][注 4]。 その後は、参加する府県・地区の増加により毎年のように地区の分割、新設が行われ、第12回大会(1926年)には北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、神静(神奈川・静岡)、東海、甲信越、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陰、山陽、四国、北九州、南九州、朝鮮、満洲、台湾の22枠となった。 以降、第27回大会(1941年)まで枠間の移動はありつつも枠数は維持された。南九州は4県ないし5県から1校、四国は4県から1校という厳しさで、逆に兵庫県は地元という名目で第1回大会から単独枠が割り振られていた[4]。このため、歴代の出場回数・優勝回数・勝利数などのランキングについて、有利不利が存在するのではないかと言われている[4]。 第二次世界大戦に伴う1942年から1945年の中断を挟み、第28回大会(1946年)は敗戦により放棄した朝鮮・満洲・台湾の枠を削除した19枠で大会が再開された。以降は地区の分割が進み、地区数は増加を続けた。参加校の多い北海道と東京都については、北海道は第41回大会(1959年)より北北海道・南北海道で各1校、東京都は第56回大会(1974年)より東東京・西東京で各1校となった。第60回大会(1978年)以降は、全ての年で1府県1校・北海道と東京は2校の49代表制となった。 記念大会では、以下の回で1回限りの枠の増値が行われている。
出場チーム
出場チーム数
第40回大会(1958年) - 1府県1代表が選出。