全国高等学校軟式野球選手権大会開始年1956
主催日本高等学校野球連盟
チーム数16チーム
加盟国 日本
前回優勝中京高等学校(12回目)
最多優勝中京(12回)
公式サイト
全国高等学校軟式野球選手権大会
全国高等学校軟式野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうなんしきやきゅうせんしゅけんたいかい)は、日本高等学校野球連盟(高野連)が主催する、毎年8月に行われる日本の高校野球大会。現在は兵庫県明石市の兵庫県立明石公園第一野球場(明石トーカロ球場)を主会場に行われ、高校軟式野球日本一を競う。後援全日本軟式野球連盟・毎日新聞社・朝日新聞社。
「軟式野球の甲子園」「もう一つの甲子園」とも称されている。
最多優勝は中京(岐阜)の12回、次いで作新学院(栃木)10回であり、それに続くのが龍谷大平安(京都)6回である。 全国47都道府県を16の地区に分け、各地区1校ずつ、合計16校の代表で争われる。7月上旬から8月上旬にかけて行う都道府県大会、都道府県代表が争う地区大会を勝ちあがった学校が出場できる。大会は都道府県、地区大会、全国大会全てトーナメント方式で開催する。全国大会の16地区の区分には、「東東北・西東北」「東中国・西中国」の区分や、北海道、東京都のほか大阪府、兵庫県も1都道府県で1地区とするなどの特色がある。軟式野球部の偏在なども考慮されているため、この区割は最大の南関東と最小の東中国では6倍以上の人口差がある。2021年からの代表枠は以下の通り。 地区都道府県 上記の通り北海道、東京都、大阪府、兵庫県を除き複数県で1地区を組むため出場権に恵まれない県もあり、現時点では三重・沖縄の2県が本大会への出場経験がない。 日程としては、高野連と朝日新聞社が主催する全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の終了後、あるいは準々決勝・準決勝の予定日近くから8月末日の期間中に開催される(必ず8月中に優勝校が決まる)。本大会では雨天順延などによる最大順延は2日間と定めており[1]、優勝が決まらなかった場合は優勝預かり(両チーム準優勝扱い)となる。優勝預かりとなった事例は過去に1度ある(後述)。 試合は、9回を終えても同点の場合には延長戦を行う。ただし延長15回でも決着しない場合には、準決勝までの試合ではサスペンデッドゲームとして翌日延長16回から再開され、決着がつくまで行う(サスペンデッドゲームでも決着がつかない場合は15イニングごとに翌日に持ち越し)。ただし、2014年の第59回大会準決勝では大会日程消化を優先させた関係[注 1]から特別ルールが導入された(後述)。この影響で2015年の第60回大会から決勝戦を除きタイブレークを導入することが決定され、延長10回(67回大会までは13回)ノーアウト・ランナー1・2塁の状態から攻撃を始める[3]。なお、2019年まで決勝戦はサスペンデッドとはせず再試合としていた。 都道府県大会・地方大会では得点差によるコールドゲーム制度が実施されている。但し地方大会決勝戦と全国大会の全ての試合については適用されない。 2020年から従来「北東北・南東北」だった東北地区の代表枠は両地区間で岩手・山形を交換し「東東北(岩手・宮城・福島)・西東北(青森・秋田・山形)」に変更される予定だったが後述の通り2020年大会は新型コロナウイルス感染症感染・発症防止のため中止となり、正式な変更は2021年からに繰り下げられた。 全国大会の優勝校には持ち回りの優勝旗、準優勝校には楯が贈呈される。優勝旗は翌年大会の開会式で返還され、記念楯が贈呈される。 この大会の上位入賞チームなどは秋に各都道府県持ち回りで開かれる国民スポーツ大会に出場できるチャンスがある。但し現在高校野球は軟式・硬式の何れも公開競技として行われており、正式な天皇杯加算ポイントには反映されない。
概要
北海道北海道
東東北岩手、宮城、福島
西東北青森、秋田、山形
北関東茨城、栃木、群馬
南関東埼玉、千葉、神奈川、山梨
東京東京
北信越新潟、富山、石川、福井、長野
東海岐阜、静岡、愛知、三重
近畿滋賀、京都、奈良、和歌山
大阪大阪
兵庫兵庫
東中国鳥取、島根、岡山
西中国広島、山口
四国徳島、香川、愛媛、高知
北部九州福岡、佐賀、長崎、大分
南部九州熊本、宮崎、鹿児島、沖縄
その他
使用球場
現在
明石公園球場(明石トーカロ球場)(メイン会場、1981年 -)
姫路球場(ウインク球場)(2016年 -)
過去
藤井寺球場(1956年 - 1972年、1974年 - 1980年、1956年から1958年までは同球場のサブグランドも使用)
PL学園球場(1959年 - 1980年)
高砂市野球場(1981年 - 2015年)
歴史
1956年(第1回大会) - 藤井寺球場に15地区の代表が集まり、第1回全国高等学校軟式野球優勝野球大会が開幕。第1回の代表校選出は北海道を除き複数県でブロックを組んで行われていた。
1957年(第2回大会) - 東京都と大阪府が1ブロックとなり、17校で開催。
1958年(第3回大会) - 兵庫県が1ブロックとなり、18校で開催。これ以降、1県1ブロックになったケースはない。
1959年(第4回大会) - 藤井寺球場のサブグランドが宅地造成のため使用停止となり、PL教団球場(翌年PL学園球場に改称)との併用開催となる。
1960年(第5回大会) - 平安が大会初の連覇(翌年も優勝し3連覇を果たす)。
1962年(第7回大会) - サスペンデッドゲームの規定が設けられ、準決勝の広島市商対日田商戦が適用第1号となる(当初は18回で打ち切り、19回から再開のルール)。この試合は19回の1イニングで決着(広島市商 1 - 0 日田商)。なお、決勝戦は従来通り再試合となる。
1966年(第11回大会) - コールドゲームの規定が設けられ、決勝を除き7回以降に7点以上点差がついた場合に適用される(現在はその規定は廃止)。
1968年(第13回大会) - 下関商(西中国・山口)対静岡商(東海・静岡)の決勝戦が延長18回、0-0で決着がつかず、この日が夏休み最終日の9月1日となった[注 2]ことから再試合とせず優勝預かりとなる(過去の大会で唯一の「優勝預かり」事例)。
1973年(第18回大会) - 藤井寺球場がナイター用の夜間照明設備を設ける工事に着手した[注 3]影響により、この大会に限りPL学園球場のみの使用となった。
1974年(第19回大会) - 福井ろう学校が、聾学校チームとして初めて本大会に出場。福井ろう学校は福井県大会を優勝したものの、「都道府県内の試合に限り」の内規のため北陸大会に出場できなかった。その後理事会で内規が改正され、特例として出場が認められた。このため、この年の大会は例年より1校多い19校が出場した。