全国水平社
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日本水平社」とは異なります。
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水平社の団体旗「荊冠旗」 / 戦後のものとはデザインが異なる

全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)は、1922年大正11年)3月、日本で2番目に結成された全国規模の融和団体で、第二次世界大戦以前の日本の部落解放運動団体である。略称は全水(ぜんすい)もしくは単に水平社。第二次世界大戦後に発足した部落解放全国委員会および部落解放同盟の前身である[1]
背景
融和運動

明治維新の結果、明治天皇によって煥発された解放令により、穢多非人などの被差別部落民は形の上では封建的な身分関係から解放されたが、実際にはさまざまな差別が残っていた。そのため、多くの部落民は文明開化・殖産興業・富国強兵が進行していく中で貧困に苦しんでいく。これを解決するため融和運動が提唱され、大正3年(1914年6月7日板垣退助大江卓らによって日本最初の全国規模の融和団体となる「帝国公道会」が一君万民四民平等の理念のもと設立された。これは「日本人は悉く平等に天皇陛下赤子である」との思想のもと、差別の原因が部落の劣悪な環境や教育水準にあるとし、富裕層の力を借りての部落の経済的向上を目指し、また部落民の意識を高め部落外の人々の同情と理解を求めることで差別を無くそうとするものであった。これらの活動は国粋主義の強いもので、後に博徒系の人々が集まり「大日本国粋会」の設立に繋がる。
左派思想の流入

第一次世界大戦中のロシア革命米騒動の影響を受け、「人類総てが平等である」という過激革新的な思想が萌芽し、従来の融和運動ではなく同和を目指す集会「燕会」が催されると、西光万吉阪本清一郎駒井喜作ら柏原(現・奈良県御所市柏原)の青年は「自分たちの力で部落の解放を勝ち取る」という運動を構想した。これをピューリタン革命の最左派であった水平派(レヴェラーズ)にちなんで新たな運動とし団体名を「水平社」と命名。大正11年(1922年)1月、冊子『よき日のために』を発刊、創立大会への結集を呼びかけた。これにより、大正デモクラシー期の日本において被差別部落の地位向上と人間の尊厳の確立を目的として「全国水平社(以下水平社又は、全水)」が創立された。
創立時の役員中央の人物が駒井 西光万吉(左側)、泉野利喜蔵(右側)とともに 1922年

水平社創立発起者は、奈良の西光万吉阪本清一郎駒井喜作、米田富、京都の南梅吉桜田規矩三、近藤光、福島の平野小剣らであった[2]

創設者の一員 西光万吉の君民一如・天皇の下の平等・高次的タカマノハラ(高天原)の思想の下で、部落差別解消を目的に結成された、尊皇愛国の同和団体[要出典]。ただし、被差別民一般を視野に入れた組織ではなくあくまで穢多系の被差別者を解放するための組織であり、的ヶ浜事件に見られるように、物吉(癩者)や山窩乞食などには強い差別意識があった。[3]松本治一郎 / 第2代全水委員長
結成全国水平社設立の地

大正11年(1922年)3月3日京都市岡崎公会堂で創立大会が行われ[4]、日本で2番目の人権宣言といわれる水平社創立宣言を採択した[5]。創立大会ではまた「人間を差別する言動はいっさい許さない」と決議され、各地から集まった代表者たちは、その喜びと決意を口々に述べた。少年代表者である16歳の山田少年は、差別の現実を報告し、「差別を打ち破りましょう。そして光り輝く新しい世の中にしましょう」と呼びかけた。
融和運動との対立

融和運動では差別が解消されない」として、融和運動を批判し「帝国公道会」などの融和運動との訣別を宣言。差別の原因はあくまで「差別する側」にあるとして、差別への糾弾や啓発に重点を置くことにした。結成の中心となったのは先述の柏原の3青年たちであったが、初代委員長には滋賀県の著名な部落改善運動家であった南梅吉が就任した。全水は翌大正12年(1923年)に結成された朝鮮の被差別民白丁の組織「衡平社」とも連携して差別撤廃の運動を展開した。(しかし、昭和2年(1927年)1月、南梅吉らが左派運動に疑問を呈し「水平社」を割って右派を結集し「日本水平社」を組織。この派閥は融和運動に戻っている)
労農運動との結合

結成当初の水平社は、差別を古くからの因習によるものととらえ、差別者に対する「徹底的糾弾」方針をとっていたが、糾弾闘争の進展は一方で部落の内外の溝を深めるとの反省が出てきた。その一方でアナ・ボル論争などの影響から、大正12年(1923年)11月松田喜一ら若手活動家を中心に結成された全国水平社青年同盟(のち大正14年(1925年)9月「全国水平社無産者同盟」に改組)が階級闘争主義と労農水提携(労農運動と水平社運動の提携)を掲げいわゆる「ボル派」として全水内部で次第に力を増してきた。全水のボル派は、大正13年(1924年)11月、南・平野小剣ら従来の幹部を「スパイ問題」(南・平野らが警察幹部と交際があったというもの)を理由に辞任に追い込み全水本部の主導権を掌握(その後委員長には松本治一郎が就任)、大正15年(1926年)の第5回大会では「部落差別は政治・経済・社会的側面に基づく」との認識に基づき、軍隊内差別や行政による差別を糾弾し労働者農民の運動と結合する新方針が決議された。
運動の低迷

以上のような「ボル派」の指導権掌握は全水内部の右派や「アナ派」との対立を激化させ、彼らの離反を招く結果となった。右派は南梅吉を中心に融和運動的な日本水平社を結成(1927年(昭和2年))。大正14年(1925年)10月、全国水平社創立の理念を継承しようとする人々と全国水平社内の無政府主義者との連合体の性格を帯びた組織 「全国水平社青年連盟」が結成された[6]


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