全国労働組合総連合
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全国労働組合総連合
(全労連)
National Confederation of Trade Unions
(Zenroren)
平和と労働センター・全労連会館
全労連は3階と4階に入居する(3階は会議室)
組織形態ナショナルセンター
組織代表者小畑雅子(議長)
黒澤幸一(事務局長)
加盟団体数19単産
47地方組織
組合員数55万人[1]
国籍 日本
本部所在地〒113-8462
東京都文京区湯島2丁目4-4
加盟組織なし
支持政党なし
公式サイト全労連

全国労働組合総連合(ぜんこくろうどうくみあいそうれんごう、略称:全労連(ぜんろうれん)、英語: National Confederation of Trade Unions、略称:Zenroren)は、日本労働組合における全国中央組織(ナショナルセンター)である[2]。1989年に連合結成を「労働界の右寄り(右翼的)再編」として、官公労労組中心の総評のうち自治労から自治労連、日教組から全教など共産党支持の各労組内非主流派が結成した新単産と統一戦線促進労働組合懇談会加盟単産で、作られたナショナルセンター[注釈 1][3][4][5]。総評時代の日本社会党のための組織的選挙活動・日本社会党支持強要を批判し、日本共産党支持傾向がある[6][3][4][5][7]
概要

行動綱領「希望に輝く未来のために」で、労使協調路線による選別排除の労働戦線再編に反対する労組により結成された「働くものの利益をまもってたたかう労働組合の全国中央組織」であることを掲げている。日本労働組合総連合会(連合)は産業別全国組合(単産)のみを加盟単位として認めているのに対し、全労連は単産に加え都道府県別組合(地方組織)も加盟単位と位置づけている。この点について、行動綱領は「産業別のたたかいと地域のたたかいを結合して全国的な運動を展開」するための組織構成と説明している[8]

単産加盟組合員数の半数近くは、日本自治体労働組合総連合(自治労連)、全日本教職員組合(全教)、日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)などの公務員組合で占められており、民間は中小企業が多く、大手民間企業、特に基幹産業の多数派組合は加盟していない。そのため、毎年春闘などの賃上げ相場形成に影響力を発揮できないまま、今日に至っている。適用法規別労働組合員数(単位労働組合)の構成比でみると労働組合法が72.5%で最も多い[9]

最高議決機関は大会で、会費納入人員にもとづいて各加盟組合から選出された代議員により構成される。定期大会は2年に1度開催され、2019年現在、最も近くに行われたのは2018年7月に開催された第29回定期大会である[10]。中央機関には青年部、女性部、非正規センターなどの専門部会をおき、階層別の意見を反映させるため、大会で発言権をもつ特別代議員を割り振っている。ただし議決権は無い。

機関紙誌として、『全労連新聞』(月刊機関紙)と『月刊全労連』(月刊機関誌学習の友社発行)を発行している。

国際労働組合組織には加盟していないが、国際労働組合権利センター(ICTUR)、グローバル化と労働組合の権利に関する南からのイニシアチブ(SIGTUR)に参加するなど労働者の権利擁護、要求前進のため「万国の労働者、団結せよ」の立場で、国際連帯を推進している。ILO労働者活動局(ILO ACTRAV)、ILO駐日事務所や世界労連国際労働組合総連合(ITUC)加盟労組、非加盟労組より定期大会にメッセージを寄せられている[11]

健康で文化的な生活の実現を政府に求めている憲法の具体化をめざす運動として「福祉国家」の確立をめざすとしている。運動では、国際労働機関(ILO)が提起する「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」の日本国内での実現も手がかりに進めるとしている。

なお、日本共産党の指導・援助により結成されたため[12]、「日本共産党と協力共同する」という政治的立場や[13]、連合に比較すると20%以下の組合員数という規模から、中央や各都道府県労働委員会での労働側委員選任など、多くの場面でしばしば不利な立場に立たされる[注釈 2]
組合員数

2019年6月末現在の組合員数は、全労連に加盟する単産(産業別全国組合)組合員数が52万4458人、地方組織(都道府県別組合)直加盟の組合員数を合わせると75万5010人である(以上は、単一労働組合の集計の組合員数である。単位労働組合の集計の組合員数は、前者が52万5523人、後者が79万7611人である。)[14]

組合員数は減少傾向で推移しており、全労連は「全労連組織の減少に歯止めがかかっていないことを深刻に受けとめる。2012年度からの「組織拡大強化中期計画」にもとづいて、単産・地方組織とも「総対話」と「共同」を広げ、減少から増勢に転じる組織拡大運動を強めている。単産と地方組織が連携した「総がかり作戦」も各地で進められ、組合の新結成・加盟も生まれている。取り組みを飛躍的に強め、全労連の社会的存在と役割を大きく宣伝し、「150万全労連」をめざす組織拡大運動に全力をあげる決意を表明する。」[15]とのコメントを発表している。
沿革.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

前史

戦後の民主化政策の中で相次いで再建された労働組合のうち、共産党の影響力が強い組織は全日本産業別労働組合会議(産別会議)として結集していた。しかし、共産党の組織引き回しに反発する勢力が「産別民主化同盟」(民同)を結成し、主導権を奪取していく過程で、労働運動内での共産党の影響力は急減、民同派労組が結集する形で日本労働組合総評議会を結成し、社会党左派の有力団体となった。

その一方、共産党を支持し続けた産別会議は1958年に解散に追い込まれ、それ以降、共産党は自前のナショナルセンターを持たないまま総評傘下の労働組合の中で活動していた。しかし、逆にその過程で総評内部で影響力を拡大し、京都総評の約半数を共産党支持で制したほか、自治労・日教組など総評傘下の有力単産の中で社会党を支持する主流派に対して、強力な反主流派を形成することに成功していた。

日本社会党(のちの社会民主党)を支持していた日本労働組合総評議会(総評)と民社党を支持していた全日本労働総同盟(同盟)の特定政党支持路線に反発し、1966年12月以降交流懇談を続けてきた38単産(単位産業別労働組合。個々の労働組合)は、1969年11月に「全民主勢力の統一のためのアピール」を発表。このアピールを切っ掛けとして1970年3月に全民主勢力の統一促進労働組合懇談会(統一促進懇)が結成され、のち1974年12月統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)に発展した。

一方、これとは別に総評・同盟・全国産業別労働組合連合(新産別)・中立労働組合連絡会議(中立労連)の労働4団体による労働戦線統一の動きがあり、全日本民間労働組合協議会(全民労協)から日本労働組合総連合会(連合)結成へと動いた。


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