全ウクライナ連合「自由」
[Wikipedia|▼Menu]

 ウクライナ政党全ウクライナ連合「自由」
Всеукра?нське Об?днання Свобода
スヴォボーダ
Svoboda
ウクライナの独立と国章をあらわすジェスチャー
スヴォボーダの党旗にも用いられている
総裁オレーフ・チャフニボーク
成立年月日1995年
本部所在地キーウ
最高議会6 / 423   (1%)(2014年10月30日[1]
党員・党友数1万5千
政治的思想・立場右派ポピュリズム[1][2]
民族主義[3]
超国家主義[4]
右翼[5][6][7]-極右[8]
シンボル青と金
国際組織ユーロナット
公式サイト ⇒全ウクライナ連合「自由」
テンプレートを表示

全ウクライナ連合「自由」(ぜんウクライナれんごう じゆう、ウクライナ語: Всеукра?нське Об?днання Свобода)は、ウクライナネオナチ民族主義政党である[9][10]日本ではスヴォボーダあるいはスヴァボーダとも表記されている。1995年アンドレイ・パルビイオレーフ・チャフニボークによって結党されたウクライナ社会民族党(Соц?ал-нац?ональна парт?я Укра?ни)を前身とし、2004年に現在の党名に改名した。現総裁(党首)はオレーフ・チャフニボーク

ウクライナ政界における極右政党[1][11][12][13]、或いはネオナチ政党と定義される[14][15][16][17][18][19][20][21]ガリツィア地方を地盤とし、ウクライナ西部の首都キーウを拠点に活動。カナダアメリカなどの北米を中心としたウクライナ人ディアスポラ難民)からも支持を集めている[22]2012年7月26日ウクライナ最高議会選挙の前に、ユーリア・ティモシェンコが率いる全ウクライナ連合「祖国」と共に全ウクライナ野党連合に加盟。議会選挙では37議席を獲得した[9]前身のウクライナ社会民族党時代のロゴナチス武装親衛隊第2SS装甲師団の師団章
情勢2010年の支持率(ウクライナの州議会選挙)2012年の支持率(ウクライナ最高議会選挙)

ガルツィア地方を地盤としており、2012年の支持率を見ると、ガリツィア地方を形成するリヴィウ州(38.01%)、イヴァーノ=フランキーウシク州(33.79%)、テルノーピリ州(31.22%)で圧倒的に高くなっている。次に、ヴォルィーニ州(17.98%)、キーウ市(17.33%)、リウネ州(16.63%)、フメリニツキー州(11.79%)、キーウ州(10.84%)の順となっており、その他の地域では10%未満の支持率しか無い。拠点をキーウに置いて以降、キーウ地域での支持率が、2010年の2.08%から2012年に17.33%にまで躍進するなど高くなっている。

2013年11月、親ロシア派だったヤヌコビッチ政権がEUと距離を置いたことで反政府運動に火がつき、今年2月には激しい暴動の末、“親欧米派”の暫定親政権が発足した[10]。すると今度は、クリミア半島にロシア軍が侵攻し、住民投票の結果、クリミアはロシアに編入。現在は、ロシア系住民の多い東部や南部の複数の州で、ウクライナからの独立を求める運動が加速した[10]

副首相や国防大臣など閣僚4ポスト、さらに国家安全保障・国防会議議長や検事総長という要職を手にしたのが「全ウクライナ連合「自由」」(通称“スヴォボーダ”)である[10]。スヴォボーダは、民族的純血主義(ウクライナ語を話すウクライナ人しか認めない、ロシア系の住民は出ていけ、との主張)、外国人排斥を訴える過激派極右政党であり、機動隊相手に最前線で戦っていたスヴォボーダは現在、ウクライナ最高議会で37議席を持っており(その議席占有率は日本の衆議院における公明党よりも高い)、2013年12月にはリーダーのオレフ・チャフニボクが野党の主要勢力の一員として、米政界の大物ジョン・マケイン上院議員との会談に臨んだ[10]

しかし、2014年10月の最高議会選挙では、スヴォボーダと似たような主張をする親欧米・反ロシア政党が乱立したことなどもあって、議席を大幅に減らした[23]
2012年の政綱
政治

地方自治体の権限を拡大する
[24]

ウクライナの行政区分を改革する[24]

最高議会の議員数を300人まで削減し、官僚を半分まで減らす[24]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef