入船山記念館
施設情報
事業主体呉市
開館1967年(昭和42年)
所在地〒737-0028
呉市幸町4番6号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度14分25秒 東経132度33分50秒 / 北緯34.24028度 東経132.56389度 / 34.24028; 132.56389座標: 北緯34度14分25秒 東経132度33分50秒 / 北緯34.24028度 東経132.56389度 / 34.24028; 132.56389
プロジェクト:GLAM
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入船山記念館(いりふねやまきねんかん)は、広島県呉市の入船山公園内にある博物館。
概要1988年 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。森林部分が入船山記念館になる。公園左から下にかけての敷地が海自呉地方隊にあたる。
1967年開館、敷地面積約1.2万m2 [1]。呉市中心部から東へ約1kmのところにある入船山公園の敷地北側を占める[2]。
旧呉鎮守府司令長官官舎(本館)を中心に郷土館や歴史民俗資料館などからなり、呉の郷土資料や大日本帝国海軍資料、金唐革紙関連資料を展示している。旧司令長官官舎は、現存明治期の海軍高級将校庁舎としては珍しいもので国の重要文化財に指定されている。ヘリテージング100選。休憩所の裏が呉市立美術館への道であり、正岡子規句碑もある。
元々この山には703年(大宝3年)から亀山神社が遷座していたが、1886年(明治19年)鎮守府が開設されるのに伴い大日本帝国海軍に接収され、1889年(明治22年)この地に洋風木造2階建の軍政会議所兼水交社が建てられた[2][3][4]。呉鎮守府開庁式の際には明治天皇の行在所としても使用された。1892年(明治25年)以降、司令長官官舎として使用されることになる[3]。戦後、1956年(昭和31年)までイギリス連邦占領軍(BCOF)の司令官官舎として使用された後、大蔵省が管理した。1966年(昭和41年)旧軍港市転換法に基づき呉市に無償貸与移管、1967年(昭和42年)から入船山記念館として一般公開を開始した。
2015年から指定管理者制度を導入、トータルメディア開発研究所とビルックスによる「入船山記念館運営グループ」が管理する[5]。約700m離れた位置にある呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)と一体化した観光展開をしている[5]。
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』のロケ地の一つである。
施設
旧呉鎮守府司令長官官舎旧呉鎮守府司令長官官舎。国の重要文化財。
木造平屋建、建築面積527.1m2 [1]。入船山記念館の本館にあたる。初代の司令長官官舎は1905年(明治38年)6月芸予地震により倒壊してしまったため、現存するものは同年に崩壊材を一部使用して再建された2代目のものになる[2]。設計は呉鎮守府建築課課長の桜井小太郎[6]。1991年(平成3年)から1995年(平成7年)にかけて大規模補修をおこなっている[1]。1998年(平成10年)国の重要文化財に指定された。2005年(平成17年)には100周年記念式典が行われた。
和洋折衷であり、手前が洋館、廊下でつながった奥が和館[2]。洋館部はイギリス風半木骨造(ハーフティンバー様式)で仕上げられ、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺、玄関のステンドグラスはイギリス製、執務室には日本国内に数例しかない金唐革紙が貼られている[3][7]。当時、洋館に執務室や応接室があり家具も英国でしつらえ、いわゆる迎賓館的な役割も果たした[8]。一方で住居として使用された和館は質素な造りになっている[8]。
戦後接収していたBCOFは、壁紙の上からペンキを塗って白壁としていた[8]。平成に入り防衛研究所で初代司令長官官舎の図面が書かれた『明治38年呉鎮守府工事竣工報告 巻三止』が発見されたのを機に元の姿に復元することが決まり[3][8]、金唐革紙も後藤仁が中心になり復元された[9]。 「近世文書館」とも。1986年(昭和61年)11月開館[3]。鉄筋コンクリート構造地上2階地下1階、建築面積144.0m2、延床面積354.4m2 [1]。呉市の歴史的資料や旧海軍関係資料、古い芸備日日新聞など幅広い分野の資料を収集している。その中で、伊能忠敬が測量する様子を描いた『浦島測量の図』『伊能忠敬御手洗測量之図』は共に市指定有形文化財で、特に御手洗の方は忠敬が実際に測量する姿が描かれている図としては国内唯一のものである[10][11]。3階が展示室で、企画展を行っている[3]。 1979年(昭和54年)3月開館[3]。鉄筋コンクリート構造地上3階建、建築面積194.0m2 [1]。1階が事務所で2階が展示室。旧海軍関係資料を中心に展示している[3]。 「旧高烏砲台火薬庫」。元々は呉軍港への外国の敵艦船の侵入を守るために大日本帝国陸軍が整備した呉要塞(広島湾要塞)の一つ“高烏砲台”に置かれた火薬庫であり、1901年(明治34年)音戸の瀬戸を見下ろす呉市警固屋に整備された [12]。戦後音戸の瀬戸公園が整備された際に旧高烏砲台も一緒に公園として再整備されたこと、加えて入船山記念館開館に合わせ1967年(昭和42年)現地に移設復元した[13][14]。
1952年BCOF接収時代
1952年BCOF接収時代。白壁がわかる。
歴史民俗資料館
郷土館
1号館1号館(旧高烏砲台火薬庫)。国の登録有形文化財。