入田地区
にゅうた
国 日本
地方四国地方
中国・四国地方
都道府県徳島県
自治体徳島市
旧自治体名西郡入田村の一部(入田)
面積10.85km²
世帯数670世帯
総人口1,624人( ⇒徳島市情報推進課、2011年6月1日)
人口密度149.68人/km²
隣接地区名西郡石井町・国府地区・上八万地区・佐那河内村・名西郡神山町
徳島市役所入田支所
所在地〒779-3133
徳島県徳島市入田町春日121番地の1
リンク ⇒入田支所公式ページ
特記事項:面積の出典[1]
テンプレートを表示
入田町(にゅうたちょう)は、徳島県徳島市西端の町である。1町で入田地区を構成する。郵便番号は〒779-3133 。
目次
1 地理
1.1 山
1.2 河川
1.3 隣接する地区・町
1.4 小字と人口
2 歴史
2.1 地名の由来
2.2 年表
3 教育機関
4 交通
4.1 道路
5 公共施設・名所・旧跡・観光スポット
6 出典
7 関連項目
地理 入田地区の街並み
入田町字月ノ宮で撮影
徳島市の最西部、市域の西への突出部に位置する、山あいの盆地である。
かつての入田村の一部で、徳島市で唯一、名西郡から合併している。旧入田村は現在の国府町西矢野を含んでいるため、現在の徳島市入田町および入田地区と旧入田村とは区域が一致しない。
徳島市の地区の中で、人口・世帯数・人口密度が最小である。 山標高 河川備考 徳島市外は地区の代わりに町村。( )内は町・大字。 石井町(石井)国府地区(国府町西矢野) 人口は徳島市による推計[2](2011年6月)。 小字読み人口 『入田村史』によれば、景行天皇の代の121年、阿波国など5ヵ国に分置された蝦夷の俘囚が、この地を「ニウタ」と呼んだことが地名の始まりである[1]。アイヌ語で「ニウタ」は周囲を山で囲まれた田園を意味する[1]。 学校名住所備考 JR徳島駅より徳島バス天の原西(刑務所前)行、または徳島バス神山線(石井経由を除く)を利用。
山
西龍王山495m山内には徳島県立神山森林公園がある。
東龍王山408m西竜王山の東部に位置している。
気延山212m国府地区・名西郡石井町との境にある。
辰ヶ山197m国府地区・上八万地区との地区境近くに位置する。
河川
鮎喰川吉野川の支流。
金治谷川西竜王山に水源があり、上流には建治の滝がかかる。
隣接する地区・町
神山町(阿野)上八万地区(一宮町)
入田地区(入田町)
佐那河内村(上)
小字と人口
天ノ原あまのはら0197
金治こんじ0008
南谷なんごく0025
春日かすが0206
笠木かさぎ0260
神ノ池かみのいけ0032
安都真あづま0125
月ノ宮つきのみや0145
海先かいさき0143
内ノ御田うちのみた0127
大久おおひさ0356
計1624
歴史
地名の由来
年表
0645年00月00日 - 大化の改新。こののち、名方郡埴土郷(はにごう)波邇井(はにい)となった[1]。
0896年00月00日 - 名方郡が名東郡と名西郡に分割。埴土郷波邇井は名西郡となった[1]。
1585年00月00日 - 徳島城築城。城下町建設にともない、建治寺と春日神社が入田から眉山へ移された(春日神社は田宮からとも)[1]。
1592年00月00日 - 太閤検地時に、波邇井が入田村(現 入田町)と矢野村(現 国府町西矢野)に分けられた[1]。
1870年00月00日 - 番組町村制
1872年00月00日 - 大区小区制により、第二大区となった[3]。
1879年00月00日 - 郡区町村制により、入田村が復活。
1889年10月01日 - 市町村制施行に伴い、入田村と矢野村が合併して(新)入田村が成立。2村は入田村の大字となった。
1953年00月00日 - 合併促進法
1955年10月01日 - 入田のみ、名東郡新居町とともに徳島市に編入、矢野は名東郡国府町に編入された。
教育機関
徳島市入田中学校徳島市入田町春日181-1
徳島市入田小学校徳島市入田町春日180番地の1
徳島市入田幼稚園徳島市入田町笠木11
交通
道路
都道府県道
徳島県道21号神山鮎喰線
徳島県道123号神山国府線
公共施設・名所・旧跡・観光スポット
Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef